→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2787.html
男神社の摂社「浜宮」にやって参りました。
古事記や日本書紀で語られる神武東征の物語の中で彦五瀬命が
敵の弓矢で負傷し、雄叫びを上げた場所がこの地であると
伝えられています。

「産経waste」から、メモとしてまとめてみる。
https://www.sankei.com/west/news/150820/wst1508200003-n1.html
・神社がある地名は「男里」。彦五瀬命の無念を伝える文物は、
隣接する阪南市にまで広がりを見せている。
・両市域にまたがり七塚と呼ばれる塚が三ヶ所で残っている。
この塚は、彦五瀬命と共に傷つき、亡くなった家臣たちの塚で、
近年まで七塚参りを行う習慣があった。
・地元に伝えられる物語では、御祭神は上陸し山の井の水で傷口
を洗ったとされる。村人たちが介抱し、彦五瀬命の右側で手当て
をした家は「右座」、左側にいた者の家は「左座」をそれぞれ
名乗っていた。座の家は男子が続く限りその名称を守り、
明治期以前まで神社の神職も務めた。村人たちの介抱で彦五瀬命
は船出が出来るまでに回復。別れを惜しむ村人らに彦五瀬命は、
石を与えこう言った。「これ、わが御霊として祭れ。
されば末永く、汝らの子孫を守らん」。


浜宮があるこの場所は「天神の森」と言われているらしい。
http://welcome-sennan.com/tourist-spots/tenjin-no-mori
こちらのお社が「浜宮」です。
その1で紹介した男神社が元々あった場所でございます。


上から撮り忘れた。
これは碁盤だったか将棋盤だったか…どっちだったかな…

「神武天皇聖蹟雄水門顕彰碑」。
浜宮のすぐ近く。天神の森内にある石碑です。


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天神の森一帯は、往昔における海面であり、
当時は水深もあり、船舶の碇泊に適した地で山城水門と言われた。
日本書紀に皇兄五瀬命が「敵に報いることなく手傷を負って死ぬ
とは残念極まりない」と雄々しく叫ばれたとあり、そのことから
雄水門と呼ばれている。
----------------------(案内板より)
【まだ見ていない人へのオマケ】
和歌山にある雄水門(男之水門)「水門吹上神社」
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2781.html
彦五瀬命を祀る「竈山神社」
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2774.html
彦五瀬命の陵墓「竈山墓」
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2775.html
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