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2019年09月28日 (土) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
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20190328_可睡斎_ひな祭り_019

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法堂八尺間「聯(れん)」の説明 
三千刹界無私の法、徳は唯、民を康んじ、
国を穏やかなら令む。
 三千年もの無限に広いこの世界に行き渡る無私無我の教え
 (法)の徳は、民を康んじ、国を穏やかなら令むのです。
億万も斯年も神(仏の心)は側るあわたず。
踪に但みる樹は欝と深きことを。
 昔も今も変わらぬ事は、仏の心は人間の心で測ことが
 できないということです。悟ってみれば木は茂り雲は深く
 して、悟り臭さは見当たりません。

---------------------(説明文より)

「徳川家御霊屋」

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「梵鐘」

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 室町時代(1518年)の製作で、形、音色が美しく、
保存状態も良く、県指定の文化財です。

---------------------(説明文より)

どんどん進みましょう。

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ここは「僧堂」
座禅を組んで修行をする場ですね。禅体験ができるそうなので
やりたい人は問い合わせをしてみては如何でしょう。
詳細/http://www.kasuisai.or.jp/special/zazen.html

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 ここは坐禅堂です。(選仏道場、僧堂とも呼ばれる)
修行僧はこの一畳の畳に起居し、(起きて半畳、寝て一畳と
言われる)坐禅修行に励みます。
「今は直に今なり、一切もちゆることを必要とせずこれ単なり、
これを示せるは禅なり」諸々の縁を放捨し、いろいろと考える
ことを休止してひたすら坐ってみよう。
中央に文珠菩薩を祀る。
文珠菩薩は知恵の仏様です。よく言われる「三人寄れば文殊の
知恵」の文珠様です。知恵の向上を望む人を守り、学問の悩み
を解き、勉学の苦みを乗り越える力を授けて下さいます。

御真言は 唵叱洛呬焰(オンシロキエン)

---------------------(説明文より)

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えぇぇ!可睡斎スゴイ!
寺の中にエスカレーターがある!!

なんだこのギャップ。最近の寺は凄いな。
外から見たときはこんなのあるとは想像もつかなかったぞ。

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下の写真は「御真殿」

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こちらは「開山堂」

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うぉぉー、雛祭りのメイン会場はまだかー。
じっくり見てお参りをしながらだと結構時間がかかるな。
どんどん進めー。

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ぬお!天井に籠が!

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公儀寺格と公儀掟め網代駕籠 
 公儀寺格とは幕末の寺院に対する待遇を指すもので五種類に
区別されており、可睡斎は両本山に次ぐ大僧録で、
三・特別寺院 四・御朱印地独礼格 五・御朱印地総礼格
となっていました。僧録司とは幕末と宗門の窓口となる寺院で
「僧録所」ともいいました。可睡斎は伊豆・駿河・遠州・三河
四ヶ国の曹洞宗寺院を取りまとめる東海道大僧録でした。
 このお駕籠は江戸出府及び道中に可睡斎住職が使用すること
を許された物です。掟によれば、この他には、対狭箱、長桶
などで道中は十五人、江戸城登城は加賀前田家の協力で
五十四人、挨拶の位置は、両本山は御白書院敷居の内、
可睡斎等僧録所六ケ寺は敷居の外二畳目と決まっていました。

---------------------(説明文より)

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「高祖廟」

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道元禅師御霊骨奉安「高祖 廟」 
 道元禅師の御霊骨は、明治十二年五月三日、
永平寺において、祖堂(承陽庵)が火災にあい、その焼け跡の
地下から発見されたのでありますが、程なくして、この御霊骨
の一部が宇治の興聖寺、青森の法光寺、そして当可睡斎にも
授与されました。
 このことは、当時住職であった当齋四十七世西有穆山禅師
(後の總持寺独住第三世)が北海道地区強化に多大なる功績が
あったこと、当可睡斎から永平寺へ道元禅師御親筆
「重雲堂式」一巻を献納したこと等に報いる為であり、
明治十四年九月二十八日授与されたのであります。
 以来、歴代の可睡斎主が自室である蓮華台において親密に
守り、安置されていました。
 その御霊骨も、平成十六年の「平和祈念大祭」の勝縁を得て
造営されましたこの「高祖廟」へと遷されました。

---------------------(説明文より)

庭園をバックに飾られるお雛様たち。

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★その3に続く!
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