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2019年10月08日 (火) | 編集 |
2019.9.27 探訪
五稜郭といえばまず北海道が思い浮かびますが…
日本に五稜郭はそれ以外にもう一つあるってご存知でした?
それがここ、長野県佐久市にある『龍岡城五稜郭』
現在は佐久市立田口小学校が建っています。

20190927_tatsuokajyou_001.jpg

五稜郭って上から見ないと形がわからんのですよね。
まず、ドローンなんか持ってはいないし、持っていたとしても
学校を上から無断で撮影したら完全に不審者w
…なので当然、外堀からそれとわかる部分しか確認できず。

20190927_tatsuokajyou_002.jpg

20190927_tatsuokajyou_003.jpg

案内板にあった図を撮影。
(昔はこんなんだったんですよーという説明図)
上から見ると、北海道にある五稜郭と同じ形をしています。

20190927_tatsuokajyou_004.jpg

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 信州に一万二千石、三河に4千石の封地を持つ三河奥殿藩の
松平氏は、宝永以来百六十年間 三河に本拠を持ち、佐久には
陣屋を置いて、領内二十二か村の統治をつづけてきたが、
11代乗謨になって、幕末激動の状勢に応じて信州に居館を移す
ことを計画し、元治元年(1864)三月着工、慶応三年(1867)
竣工、地字名をとって龍岡城と称した。
用地一万余坪は田野口村より、石材木材などは領内より献納、
総費用四万円余であった。藩主乗謨は学才識見ともにすぐれ、
幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職につき、明治に
入っては、佐野常民と共に、赤十字社の前身である博愛社を
創設し、副社長、又、賞勲局総裁など歴任した。
 築城にあたっては、稜堡式築城法を用い、いわゆる五稜郭が
成立した。そしてこれより四年前完成した函館五稜郭址ととも
に、わが国城址の中においてただ二つの貴重な洋式城郭である。
 廃藩後明治五年、城はとりこわしとなったが、さいわい濠と
石塁、建物の一部大台所を残している。

注 松平乗謨、田口藩最後の藩主で明治初年 大給恒と改姓名

---------------(龍岡城五稜郭 案内板より)

何度も言うが現在は小学校の敷地。
小学生がサッカーをして遊んでいたのでカメラを向けるのにも
少しばかり戸惑いましたが案内の冊子と一緒に撮影。
私らは決して怪しい人じゃないよー。単なる観光客だよー。

※写真は小学校のグラウンド。
20190927_tatsuokajyou_005.jpg

龍岡城五稜郭(龍岡城跡)内にある神社「田口招魂社」
北越戦争・日清戦争・日露戦争・大東亜戦争等で命を落とした
英霊が祀られています。

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20190927_tatsuokajyou_010.jpg

【おまけ】
龍岡城五稜郭の外側に設置されていた農業集落排水のマンホ。
中央に入っているのは五稜郭のマークでしょうか?
(ちなみに田口小学校の校章も五稜郭のデザインでした)

20190927_tatsuokajyou_011.jpg


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