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「天満宮」。


稲荷神社へ。


お稲荷さんに辿り着くまでの道に温羅神社があります。
御祭神は「温羅の和魂」。


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童話桃太郎では吉備津彦命と戦った温羅は鬼とされて
いますが、吉備の国に様々な文化をもたらし「吉備の冠者」
の名を吉備津彦命に献上したとされる温羅の和やかな
御魂をお祀りしています。
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
続いて三つの末社。
温羅神社の隣に鎮座するのは「十柱神社」。
(御祭神:吉備海部直祖、山田日芸丸、和田叔奈麿 、
針間字自可直、夜目山主、栗坂富玉臣、忍海直祖、
片岡健命、八枝麿、夜目)

その隣に「牛馬神社」(御祭神は保食神)。

さらにその隣には「祖霊社」。
(御祭神は吉備津彦神社社家の祖霊)

稲荷神社への参道。


「稲荷神社」(御祭神は倉稲魂命)。

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五穀豊穣、商売繁盛、諸業繁栄、生産の神であり、
当地方で最も古く稲荷の神を祀った社といわれています。
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
お稲荷さんの場所から下ったところに「卜方神社」。
(御祭神は輝武命、火星照命)

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池田信輝公と池田輝政公の霊神がお祀りされています。
-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)
吉備津彦神社から少し外れた場所にこんな所が。

【藤原成親供養塔】

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この五輪塔は、鹿ケ谷事件で平清盛に捕らえられ、備前と
備中の境にある有木の別所で処刑された大納言藤原成親
(1138~1177年)の供養塔と伝えられています。
宝珠と請花が失われているため、代わりに小さな石塔の笠
が載せられた花崗岩製の高さ102cmの五輪塔です。
古い記録では、有木山にあったものをこの場所に移したと
伝えていますが、塔の様式は南北朝から室町初期のものと
考えられ、成親が処刑された平安末期のものではありません。
成親は、この地で無念の最後を遂げますが、この事件が
平家打倒運動の大きなうねりの第一歩となり、栄華を誇った
平家一門は滅亡への道を歩みはじめることとなります。
福田海の入口より500mほど南に登ったところに藤原成親
遺跡(県指定史跡)があります。
---------------------(案内板より)
供養塔の下は古墳の石室になっています。

【藤原成親供養塔下古墳】

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この古墳は6世紀頃の古墳時代後期に造られた横穴式石室と
考えられています。遺骸を安置する玄室と、外部につながる
通路である羨道からなり、石室内への出入りが容易で追葬に
適した構造です。
横穴式石室は、4世紀後葉の玄界灘沿岸で造られて以降、
5世紀には九州以外の西日本でも散発的に造られ、
6世紀後葉から7世紀初頭にかけては爆発的に造られました。
7世紀に入ると精微な切石石室も現れますが、多くは小型・
石槨化(石棺を納める石室の室)し、群集墳の終焉とともに
消滅しました。
---------------------(案内板より)
「忠魂碑」。
片隅にひっそり佇んでいました。

【おまけ】
吉備津彦神社の駐車場片隅にあった桃太郎の像。
手作り感満載で、特にお供の犬と猿とキジの顔が最高すぎるw
脱力系というか何というか、ゆるくてジワジワとくる感じが
これまたたまらなくいい。



これを製作したのは「中山森造」というセメント像作家。
(作られた人は残念ながら、2005年に亡くなられている)
平成元年製作で、奉納されたのはその九年後らしい。
桃太郎の足にそのかたの名前などが刻まれているようです。
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