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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2019年11月18日 (月) | 編集 |
いきなり検索でココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2983.html

「天満宮」

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稲荷神社へ。

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お稲荷さんに辿り着くまでの道に温羅神社があります。
御祭神は「温羅の和魂」

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 童話桃太郎では吉備津彦命と戦った温羅は鬼とされて
いますが、吉備の国に様々な文化をもたらし「吉備の冠者」
の名を吉備津彦命に献上したとされる温羅の和やかな
御魂をお祀りしています。


-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)

続いて三つの末社。
温羅神社の隣に鎮座するのは「十柱神社」
(御祭神:吉備海部直祖、山田日芸丸、和田叔奈麿 、
針間字自可直、夜目山主、栗坂富玉臣、忍海直祖、
片岡健命、八枝麿、夜目)

20190528_kibitsuhiko_040.jpg

その隣に「牛馬神社」(御祭神は保食神)。

20190528_kibitsuhiko_041.jpg

さらにその隣には「祖霊社」
(御祭神は吉備津彦神社社家の祖霊)

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稲荷神社への参道。

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「稲荷神社」(御祭神は倉稲魂命)。

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 五穀豊穣、商売繁盛、諸業繁栄、生産の神であり、
当地方で最も古く稲荷の神を祀った社といわれています。


-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)

お稲荷さんの場所から下ったところに「卜方神社」
(御祭神は輝武命、火星照命)

20190528_kibitsuhiko_046.jpg

----------------------------
池田信輝公と池田輝政公の霊神がお祀りされています。

-------------(吉備津彦神社 公式サイトより)

吉備津彦神社から少し外れた場所にこんな所が。

20190528_kibitsuhiko_047.jpg

【藤原成親供養塔】
20190528_kibitsuhiko_048.jpg

----------------------------
 この五輪塔は、鹿ケ谷事件で平清盛に捕らえられ、備前と
備中の境にある有木の別所で処刑された大納言藤原成親
(1138~1177年)の供養塔と伝えられています。
 宝珠と請花が失われているため、代わりに小さな石塔の笠
が載せられた花崗岩製の高さ102cmの五輪塔です。
古い記録では、有木山にあったものをこの場所に移したと
伝えていますが、塔の様式は南北朝から室町初期のものと
考えられ、成親が処刑された平安末期のものではありません。
 成親は、この地で無念の最後を遂げますが、この事件が
平家打倒運動の大きなうねりの第一歩となり、栄華を誇った
平家一門は滅亡への道を歩みはじめることとなります。
福田海の入口より500mほど南に登ったところに藤原成親
遺跡(県指定史跡)があります。

---------------------(案内板より)

供養塔の下は古墳の石室になっています。

20190528_kibitsuhiko_049.jpg

【藤原成親供養塔下古墳】
20190528_kibitsuhiko_050.jpg

----------------------------
 この古墳は6世紀頃の古墳時代後期に造られた横穴式石室と
考えられています。遺骸を安置する玄室と、外部につながる
通路である羨道からなり、石室内への出入りが容易で追葬に
適した構造です。
 横穴式石室は、4世紀後葉の玄界灘沿岸で造られて以降、
5世紀には九州以外の西日本でも散発的に造られ、
6世紀後葉から7世紀初頭にかけては爆発的に造られました。
7世紀に入ると精微な切石石室も現れますが、多くは小型・
石槨化(石棺を納める石室の室)し、群集墳の終焉とともに
消滅しました。


---------------------(案内板より)

「忠魂碑」
片隅にひっそり佇んでいました。

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【おまけ】
吉備津彦神社の駐車場片隅にあった桃太郎の像。
手作り感満載で、特にお供の犬と猿とキジの顔が最高すぎるw
脱力系というか何というか、ゆるくてジワジワとくる感じが
これまたたまらなくいい。

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これを製作したのは「中山森造」というセメント像作家。
(作られた人は残念ながら、2005年に亡くなられている)
平成元年製作で、奉納されたのはその九年後らしい。
桃太郎の足にそのかたの名前などが刻まれているようです。


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ジャンル:地域情報
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