『中山茶臼山古墳』にやって参りました。
ココに来る前に岡山県古代吉備文化財センターに立ち寄り、
古墳の場所を聞いたら案内図をくださいまして…
「駐車場に車を置いて歩いて行かれたほうが良いですよ」
との事でしたので、お言葉に甘えて。
センターからは近い場所にこの古墳はあります。


道標がありました。
「左 宮内」「右 くあんのん」。

「三十三観音像」。

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http://kibinonakayama.com/中山散策/24-三十三観音像/
御陵道から八徳寺に続く参道の両側にお祀りされている
江戸時代末期に造られた観音石像。
「法華経観世音菩薩普門品」には、観音様が衆生救済のために
三十三の姿に身を変えて現れるという。近畿地方の観世音菩薩
の霊場を巡礼するのにあやかって作られたものである。
石仏が並ぶ入り口付近に「左宮内」「右くあんのん」と刻んだ石碑
がある。吉備の中山を越えて吉備津に至る古い道が
ここにあったことがうかがわれる。
------------(リンク先:吉備の中山を守る会)
道なりに歩いていきます。
お地蔵様に守られているような光景が続くよー♪


御陵はすぐそこ。


神々しいッスな。

宮内庁が管理しています。
「孝霊天皇皇子 大吉備津彦命墓」と書かれています。

御陵。
桃太郎のモデルとなった皇族のお墓です。

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http://kibinonakayama.com/中山散策/22-中山茶臼山古墳/
古墳時代前期(4世紀頃)に築かれたと推定される
全長105mの大型前方後円墳。四道将軍として大和から派遣
された「吉備津彦命」の墓と伝えられ、宮内庁の管理下にある。
この古墳を地域では「御陵」と呼んでいる。考古学的調査は
行われていないが、墓域からは特殊器台形埴輪が採取されて
おり古い時代の古墳である。吉備津彦命が実在したかは不明
だが、南に吉備の穴海が広がり海運の要所であることから、
大きな勢力を持った大首長の墓であることは間違いない。
------------(リンク先:吉備の中山を守る会)
実在したかは不明だと?…いやいや、ちょっと待て。
存在するに決まってるじゃないですか。

御陵の隅(向かって右側)から撮影。
カメラを右から左へ向けてみる。



亀さんのような石が置いてあったけど何だろう?

ココから少し行った場所に「吉備武彦命鎮座跡地」がある。
続いての記事はその吉備武彦命鎮座跡地と新宮社について
の記事を書いてみようと思う。
★「吉備武彦命鎮座跡地」の記事に続く!
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3008.html
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