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2019年12月08日 (日) | 編集 |
いきなり検索でココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
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大嘗宮の裏側にまわって行きましょう。

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下の写真は「廻立殿」。
大嘗祭では天皇陛下が湯あみをし、装束を改める殿舎。

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紅葉が綺麗です。

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裏手側から見る「悠紀殿」。

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さて、大嘗宮を拝観したあとの+α の写真ですよー。
下の写真は江戸城の「天守台」。

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 徳川家康の入城以来、江戸城では、慶長度天守(1607年)、
元和度天守(1623年)、寛永度天守(1638年)と3度、
天守が建てられました。最も規模が大きかった寛永度天守は、
地上からの高さが約58mあったといわれています。
 この天守台は、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により
焼失した後、天守再建を目指して万治元年(1659年)に
築かれたものですが、幕府内で、天守は不要との結論が下され
この天守台には天守が建てられないままになりました。
 江戸時代の江戸城は、天守があった50年間の後、天守が
ない状態が210年間続いたことになります。


---------------------(説明文より)

皇居東御苑の方にやって参りました。
下の写真は「諏訪の茶屋」です。

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 諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に、
皇居内の吹上地区に建てられたものです。その場所に、
江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が
付いています。昭和43年(1968年)に現在の場所に移築され
ました。


---------------------(案内板より)

庭園に池がありました。

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見たこともない美しいコイがいたので撮影。ながーい尾びれを
ヒラヒラさせながら優雅に泳ぐ姿は、とても美しかったです。
この子たちは「ヒレナガニシキゴイ」という種類だそうな。

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★その4に続く!
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