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下の写真は「皇居正門石橋旧飾電燈」。

どんどん歩いていきましょう。


下の写真は「百人番所」。



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江戸本丸への道を厳重に守る大手中之門に向き合って
設けられた警備詰所です。甲賀組、伊賀組、根来組、
二十五騎組という4組の鉄砲百人組が昼夜交代で勤務して
いました。各組は、20人の与力と、100人の同心で構成
されていました。
---------------------(案内板より)
百人番所のそばにある「中之門」。
ちなみにですが下の写真の門に向かって右手側の写っていない
部分で数人の警察官に囲まれモメているおっさんがいました。
スキンヘッドの男だったけど、まさか前にニュースになってた
荷物検査を拒否していた男と同一人物ではあるまいな?
声を荒らげてなんか言ってたけど、遠巻きに見ていたから
なんでモメているのかがよくわからなかったよ。
番所があるココが昔は怪しい奴をせき止める場所だという点で
現代も似た役割を果たしていたのを目の前に、実に面白い光景
を見てしまった気分になりましたw
警察官の皆さん、変なヤツ相手にお仕事お疲れ様です。

「同心番所」。


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「番所」とは警備詰所のことで、江戸城にあった番所
のうち、百人番所、大番所、同心番所の3つが残っています。
ここには主として「同心」と呼ばれる武士が詰め、登城者の
監視に当たっていました。屋根瓦には、皇室の菊の御紋のある
ものや徳川家の葵の門があるものが見られます。
---------------------(案内板より)
皇宮警察のパトカー。
この車は皇居の中をパトロールしているもので、
外の公道を走っていることは滅多にないそうです。





「大手門」。ここから退場しました。
出てすぐに信号があるためちょっとした渋滞が。



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大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。
大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し
易い構造になっています。大きい方の門は、昭和20年
(1945年)4月の空襲で焼失した、昭和42年(1967年)に
復元されました。焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、
頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれています。
この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火
が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に制作された
ものと考えられます。
---------------------(案内板より)
門のそばにあった「鯱」。
小さな女の子が指差しお母さんに何度も「…エビ?…エビ?」
と聞いていて、思わずほっこりしてしまいました。可愛いw
(「エビちゃうわ」というお母さんのツッコミにも笑った)

うん、確かに小さい子にはエビフライに見えちゃうかもね。
お子様ランチに乗ってるエビがこんな感じだもんねw

大嘗宮の拝観、楽しかったです。
貴重なものを見せていただきありがとうございました。

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