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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2019年12月20日 (金) | 編集 |
2019.5.28 参拝 
「矢喰宮」へ向かいます。少しわかりづらいですが、
場所は「矢喰の岩公園」内にある神社です。もちろんココも
岡山に伝わる桃太郎「吉備津彦と温羅」と関係する場所。
物語を読みたいという人はこちらのリンクからどうぞ。
https://okayama-kanko.net/up_load_files/pamphlet/8_pdf.pdf
※絵本はpdf形式になっています。

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鳥居の側にある巨石は郷土記念物の「矢喰の岩」

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 これらの岩は、吉備津彦命と鬼神温羅にまつわる伝説の中
で、「吉備の中山に陣取る吉備津彦が射た矢と、
鬼の城に居た温羅が投げた岩とが空中でかみ合い落下した」
といういわれをもっている。
 この矢喰天神社は、吉備路のほぼ中央部、血吸川に沿った
水田地帯の中に位置し、境内にある大小五個の花崗岩から
成るこれらの岩は、古くからの伝説とあいまって地域の人々
に親しまれている。


------------------(矢喰宮 案内板より)

矢喰宮を中心とし、この方角にはこれがありますといった
感じの音声案内板がありましたが、壊れていたようです。
ボタンを押してと書かれてあるけどボタンがない。
メンテがされていないのは残念だなぁ…

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鐘がありました。

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門をくぐりお参りをしましょう。

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矢喰神社 (後に天満宮を合祀したので矢喰神社、
又は矢喰天神社と呼んでいる)
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/18480/
御祭神:吉備武彦命
----------------------------
創立年代不明。
吉備津宮縁起によれば、第十代崇神天皇の時 百済の王子温羅
と云う者があった。両眼大きく、毛髪赤く、頬骨強大、
身の丈抜群。その性勇悍腕力絶大常に仁義を守らず、
日本を覗わんとする志があった。本朝に来り諸州を広覧する
内、遂に吉備の国新山、(後方の山)に登った。
この地方の勝れたるを見てこの所に大門を起し、城壁を築き
矢倉を立てて城郭をなして居を構え、時には西国より帝京に
送る貢物を略奪した。近里に往来して人民を悩乱せしめた。
時の人、この城郭を鬼の城と称し恐れた。
天皇勅して大吉備津彦命を派遣して之を征伐せしめられた。
即ち彦命は兵数千を率いて東の方吉備の中山に陣し、西の方
は、日畑西山(楯築山)に出で石楯を築き甲兵を引きい
鬼の城に向かい温羅と戦った。

-----------------------(↓続く)

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 彦命、矢を放てば温羅の矢と空中に噛合い海中に飛び入る。
其の所に宮を建てて矢喰宮と云った。之が今日の矢喰神社で
ある。彦命、再び千鉤の矢に大矢二筋を番え発したところ
その一矢は喰合って前の如く海中に飛び入ったが、他の一矢
は温羅の左眼に命中した流血で流水の如くであった。
其の所を名ずけて血吸川と云う。是に於て温羅は雉となって
山中にかくれたが、命は鷹と化して之を追うた。次には鯉と
化して血吸川に入ったので命は鵜と化して噛んで之を揚げ、
その所を名づけて鯉喰宮と云った。(東南二キロにあり)
温羅、遂に錘旗を垂れ鋒刃を捨てて降ったとある。
 以上は吉備津彦にまつわる物語でこの地方に昔から語り
伝えられている伝説である。左側の砂川が血吸川で血吸石が
ある。当時このあたりは海であった。

------------------(矢喰宮 案内板より)

【おまけ】
近くを流れる「血吸川」を橋の上から撮影。

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https://okayama-kanko.net/sightseeing/common_spot.php?id=61
 鬼城山を源流とする川で、吉備津彦命との戦いで傷ついた
温羅の血が流れて真っ赤になったと伝えられ、下流には
「赤浜」の地名も残る。名前の由来は、鉄分が含まれた川の水
が赤かったためと言われ、この地域で製鉄が盛んであったこと
をうかがわせる。


---------------(おかやま観光ネット より)


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ジャンル:地域情報
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