このブログでまだ紹介した事がなかったですね。
「小梳神社」は静岡駅からそう遠くない街中にあります。

疫病退散。
落ち着いたら県外各地の神社めぐりがしたい。
イベントにも行きたい。けど今年は無理そうだな…
コロナに旅行の予定をことごとく何個も潰されて腹が立つ。

こちらは鳥居をくぐって境内左手側に鎮座する「宗像神社」。


…さて、お参りしましょうかね。

小梳神社
https://www.visit-shizuoka.com/spots/detail.php?kanko=543
御祭神:建速須佐之男命、奇稲田姫命
相殿祭神:大己貴命、天照皇大神、金山彦命、猿田彦命
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当神社創建の年代は詳かでないが 静岡市では最も古い神社の
一つである。元の鎮座地は、現在の県庁の東南側の所であった
その周辺一帯の地名を小梳と云い、後に東川辺と改められた。
惣国風土記に「小梳神社所祭素盞鳴尊 奇稲田姫也 小梳後号
東川辺 延喜式安倍郡小梳神社とあるは此社なり」と記載されて
いる。大宝令の定めにより横田駅が設けられて以来は、
その守護神として信仰され、貞観の頃より祇園信仰が全国に
拡まるにつれて当神社は少将井神社とも云われ、江戸時代には
一般町民からは専ら「少将の宮」と称されたようである。
この東川辺の地に駿府城が築かれて以来は、
駿府城の守護神としての崇敬が加わり、特に徳川家康が幼時
今川家の人質として、当神社の宮前町に居住し撫育につとめた
祖母華陽院と共に、日夜武運長久を祈願し、後年家康が大阪夏
の陣に勝利し天下を平定してこの駿府城に隠居するにあたり、
代々徳川家の守り神と伝わる大己貴命、天照大神二神を
小梳神社に合祀し、少将井五所大神宮と称し、元和元年九月
三日に林道春(羅山)に命じて、この由を社請に幟さしの奉献
したものが現存している。
-----------------------(↓続く)

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これよりさき、慶長十四年駿府城の城域拡張により、
当神社はその城域内に入った。駿河大納言忠長は、不敬を冒す
を畏れ、又庶民参拝の便をはかって、寛永八年に仮宮を造って
奉遷し延宝三年に現在の地に社殿を造営して遷宮した。
この造営の事にあたったのは城代松平右近を始めとして町奉行
大久保甚兵衛、外城番、番頭、加番、目付等である。
翌延宝四年から隔年に神幸祭が行われた。
この神幸祭はぎおん祭といわれ町奉行与力同心が警護にあたり
加番衆より出し馬があり、駿府の町々は一番より四番まで組合
を定め各町より屋台、台の物など踟物を出し駿府全域の町々を
巡行した。当時のもようを駿国雅誌には「供奉の行列装束と
粧い引連なる踟物の結構は都山王の祭礼に彷彿なり」
と記されている。
明治八年二月郷社に列し、明治四十年七月県社に昇格した。
昭和十五年一月静岡市大火により社殿工作物を悉く失い、
同年建築した仮社殿も昭和二十年六月の戦禍により再び炎上
したが、昭和二十五年以来、本殿、社務所、手水舎、
其他現在の建物を準じ復興建築した。
昭和三十七年三月七日、北白川神宮祭主様が伊勢神宮の
坊城代宮司 神社本庁佐々木統理を伴って正式参拝された。
例祭日 七月二十七日
新庄道雄の石文
駿河国三大地誌の一と高く評価されている
「駿河国新風土記」の著者新庄道雄の碑が当神社境内にある。
平田篤胤の撰文で、静岡市文化財に指定されている。
-----------------(小梳神社案内板より)
こちらは小梳神社の拝殿に向かって左手側にある稲荷神社。

綺麗な花を咲かせていました。
こちらは「ブルグマンシア」という名の植物だそうです。
(原産地は南アメリカ。ナス科の植物。
調べてみたら日本には明治末期に伝わったとありました)
「エンジェルストランペット」とも呼ばれているらしい。
綺麗な花ですが、アルカロイドを含む毒を持っています。

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