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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2020年12月16日 (水) | 編集 |
検索でいきなりココにたどり着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3476.html

門をくぐってお参りをしましょう。

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門をくぐったらすぐ右手側に注目。
ここには「家康公お手植のみかん」があります。
この木は、駿府城本丸跡にある家康公お手植みかんから株分け
されたものだそう。神前にお供えされる大事なみかんですので
絶対に採ったりいじったりしてはダメですよ。

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これを撮影したのが10月末。まだ青かったです。
黄色く実るのは11月末〜12月の今の時期くらいですかね。

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さて、国宝の御社殿ですよー。
久能山東照宮が国宝に指定されたのは平成22年12月24日の事。
あとの細かな説明などは、公式サイトを参照下さい。
https://www.toshogu.or.jp/about/shinto_shrine.php

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久能山東照宮
https://www.toshogu.or.jp/
主祭神:徳川家康公
相殿:豊臣秀吉公、織田信長公
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 久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神としておまつりする
全国東照宮の創祀です。徳川家康公は、天文11年(1542年)
12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)にお生まれになり、
あらゆる艱難辛苦の末、戦乱の世に終止符を打ち、
江戸時代260余年にわたる世界に其の比を見ない「泰平の世」
の礎を築かれ、学問、産業、文化の基礎を確立し近世日本の
発展に偉大な功績を残されました。晩年は大御所として駿府城
に在りましたが、元和2年(1616年)4月17日、波乱に満ちた
75年の生涯を閉じられました。
 徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、
三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の
日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」
(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に
2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。

-----------------------(↓続く)

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 当宮に対しては朝廷の御崇敬ことのほかに篤く、元和3年
(1617年)2月21日には朝廷より「東照大権現」の神号を賜り、
また同年3月9日には、正一位御追贈の宣下がありました。
また、東照宮ははじめ「東照社」と称しましたが、
正保2年(1645年)11月3日宮号の宣下があり以来「東照宮」
と申し上げております。
 御社殿は中井大和守正清を大工棟梁として元和2年5月着工、
同3年12月に至る僅か1年7か月という短期間に造営されました。
当時最高の建築技術・芸術が結集された、権現造、総漆塗、
極彩色の御社殿は江戸初期の代表的建造物として国宝に指定
されています。
 久能山東照宮は創建以来、平和の守護神、
国家鎮護の神として朝廷・幕府はもとより広く国民に篤い
崇敬を受けてまいりました。平成27年には御鎮座四百年大祭
を斎行、今日でも、平和への祈りを捧げるため日本国内は
もとより世界各国より多くの方々が訪れています。

------------(久能山東照宮 公式サイトより)

ココで注目して頂きたいのは、拝殿の屋根のこの部分。
徳川家の葵の御紋をじっくり観察していくと、一つだけ逆さ葵
(葵の御紋が逆さまになっているもの)があります。
現地へ行ったら、是非その目で探してみて欲しい。

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「建物は完成と同時に崩壊が始まる」と言われていた事から、
「全て完成していませんよ」と、わざと一つだけ紋が逆さまに
なっているのだそうです。色々な物事に関しても完成したら
あとは衰退が始まります。なので「まだまだ発展していくよ」
という縁起担ぎ的な意味があるのでしょうね。

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拝殿前の唐門の彫刻(ほんの一部)。

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逆光でゴメン。授与所のそばに生えている大蘇鉄。
樹齢650年・幹の太さは2メートル。

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お参りをしたあとは「御神廟」の方へ向かいましょう。

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拝殿の横を通るとすぐに、御本殿を間近で見る事が出来ます。

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御神廟に通じる廟門をくぐり進みます。
…と、現在こちらの方は石柵・石垣を補修工事中。
工期は令和3年3月31日までだそう。

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石垣についての説明が書かれていました。

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----------------------------
久能山東照宮における廟所の「添石垣」について
 重要文化財久能山東照宮廟所の石垣は、元和三年(1617年)
の久能山東照宮造営時に築かれましたが、時を経て崩落の
恐れが生じました。このため、天保四年(1833年)、
廟所宝壇西側の石垣の一部に「添石垣」を設けて、
石垣を二重にし、当初の石垣の崩落を抑えてきました。
 この度の重要文化財久能山東照宮社殿等の修復事業に
あたっては、廟所の石垣について創建当時の景観に復すること
としました。後年築かれた「添石垣」は撤去するものの、
史跡久能山東照宮を知るうえで貴重な石垣遺構であり、
その歴史的価値を後世に伝えるため現在地に移設しました。
                  平成十九年三月

---------------(久能山東照宮 案内板より)

★その4に続くよ♪(次は家康公の御神廟です)
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3499.html


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テーマ:静岡県
ジャンル:地域情報
コメント
この記事へのコメント
こんばんは。

>>>色々な物事に関しても完成したらあとは衰退が始まります。なので「まだまだ発展していくよ」という縁起担ぎ的な意味があるのでしょうね。

なるほどー。
なぜかこの部分が強く印象に残りました。
いい歳ですが、まだ何一つ完成させてないので、いろいろがんばらなきゃ。
2020/12/16(Wed) 23:48 | URL  | GEDDY #-[ 編集]
Re: GEDDYさん
おはようございます、いらっしゃいませ。
いつもコメントありがとうございます♪

人間、幾つになっても勉強大事ですね。
お互い頑張っていきましょうー♪
(=゚ω゚)「SERUNAちゃんは死ぬまで何も完成されないと思う」
SERUNA:「うう…」←完成する前に衰退中の私
2020/12/17(Thu) 08:03 | URL  | SERUNA★静岡 #-[ 編集]
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