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「徳川家康公 御神廟」の場所に到着しました。

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神廟は本殿の後方にある廟門より約40段の石段を登った所
にあります。 ここは御祭神徳川家康公の御遺骸を埋葬し
奉った所で以前は御宝塔と称えていました。
元和2年(1616)の創建当初は木造桧皮葺の造りでありまし
たが、寛永17年(1640)に3代将軍徳川家光公により現在の
石造宝塔に造替されました。宝塔の高さは、5.5メートル、
外廻り約8メートル、前面に唐戸があります。軒の四隅に唐銅
の風鐸が掛かっています。
なお神廟は家康公の御遺命により西向きに建てられています。
西の方には、公の御両親が子授け祈願の参籠をされたという
言い伝えを持つ鳳来寺があり、さらにその西に岡崎の松平家
の菩提寺大樹寺、家康公誕生の地である岡崎城があります。
そしてその延長線は京の都へと続いています。
-------------(久能山東照宮 公式サイトより)




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徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、
三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、
下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」
(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍
秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。
---------(久能山東照宮 公式サイトより一部抜粋)
《ちょこっとこんなお話を》
家康公の死後、彼の大事にしていた愛馬は夜になると御神廟の
脇で休み、朝は厩舎に戻り餌を食べてを繰り返していたそう。
ある朝、馬が厩舎に戻らなかったため神廟を確認したところ、
静かに眠ったままの姿で見つかったというお話があります。
家康公の愛馬は、御神廟のすぐ側に埋葬されました。
これを撮影した日、その場所は補修工事中の為の柵がしてあり
見る事が出来ませんでした(過去に何度か目にしましたが、
墓らしい墓は無くてごくシンプルな場所だったと記憶)。
馬が埋葬された場所は家康公の御神廟後方にあります。
【金の成る木】
御神廟に向かって右手側の方にあります。




金の成る木、遠景。

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ご祭神徳川家康公にまつわる多くの遺話の中に
「金の成る木」があります。これには前面右の
楠の大樹がふさわしいと思われます。
家康公が家臣たちに『金の成る木』について問われたところ
誰も知らず、家康公は自ら筆を把られて幹三本を描き、
『よろず程のよ木』『志ひふかき(慈悲深き)』
『志やうぢ木(正直)』と書かれ、「これを常々信用すれば
必ず富貴が得られよう」と仰せられました。その後、
細川忠興公がこれに左右の枝を描き『あさお木(朝起)』
『いさぎよ木』『志んぼうつよ木』『ゆだんな木』
『ようじょうよ木(養生)』『かないむつまし木』と書き
加えられ「左右の枝が繁盛するならば一段と富貴が得られる
であろう。皆々この『金の成る木』を写しとって家内のものに
教えるように」と命ぜられたといいます。
ご参拝の皆様にはこの『金の成る木』にあやかられ、
毎日が心豊かで健やかな生活を送られます様ご祈念申し上げ
ます。
-------------(久能山東照宮 境内案内板より)
お参りを終えたので戻ることにしましょう。


久能山の過去と現在。


門衛所辺りから見える駿河湾。このように晴れた日は、
伊豆半島が先端の方まで綺麗に見えますよ♪


★久能山東照宮「おまけ」に続く!
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