「丹生川上神社」にやって参りました。

この神社の主祭神は水の神である罔象女神。
まさにこの神様にピッタリであるかのような美しい川が
神社の前に流れています。澄んだ水がとても美しいです。



鳥居をくぐってすぐ目の前に見えるのは、文政12年(1829)
より天保元年(1830)にかけて造替された拝殿。

訪れたのは去年の11月。
紅葉が神社の景色に溶け込んで綺麗ですね。
しばらくじっくり眺めてしまいましたよ。

丹生川上神社
https://niukawakami-jinja.jp/
主祭神:罔象女神/相殿神:伊邪奈美命、伊邪奈岐命
東殿:大日孁尊(天照大神)、譽田別命(応神天皇)、
八意思兼命
西殿:開化天皇、上筒男命、菅原道真公、綿津見神、
大国主神、事代主神
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丹生川上神社の創祀
今を去る事1300年余り前、第40代天武天皇白鳳4年(675)
「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて
敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」
との御神教により、創祀せられました。
事あるごとに心からなる朝野の信仰を捧げ、『延喜式』
(927)には名神大社として、平安時代中期以降は、祈雨の神
として「二十二社」の一社に数えられています。そして、
近代においては官幣大社に列せられました。
丹生川上神社の経緯
丹生川上神社の奉幣祈願は、平宝字7年(763)5月28日
「旱続きのため、幣帛を畿内四か国の神々に奉り、そのうち
丹生川上には幣帛に加えて黒馬を奉った」(『続日本紀』)
という記述によって歴史上に初めて表れます。
以後、応仁の乱の頃までには九十六度もの祈雨奉幣祈願が
あったと記録にみられることから、当社がいかに重要な神社で
あったかが伺えます。
しかしながら、都が京都に遷り戦国時代以降はそのような
奉幣祈願も中断され、丹生川上神社はいつしか蟻通神社(※)
と称され、ついには所在地さえ不明となってしまいました。
※蟻通神社の社名は「天皇の吉野離宮行幸の様子が、遠目に
アリが通っているように見えたこと」によるとされています。
-----------------------(↓続く)

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丹生川上の地
明治維新後、所在不明とされた丹生川上神社の研究調査が
行われました。調査では、明治4年(1871)に丹生村(現在の
下市町)、続いて明治29年(1896)には川上村の神社が
有力視され、それぞれ官幣大社丹生川上神社下社・上社とされ
ました。しかし、大正11年(1922)当村出身の森口奈良吉翁に
よる「蟻通神社こそが丹生川上神社である」と定義した
研究調査が認められ、当社が官幣大社丹生川上神社に列格され、
通称「中社」と位置づけられました。ここに従来の二社に当社
を加え、ひとつの官幣大社丹生川上神社としていましたが、
戦後は氏子の気持ちに寄り添い三社は独立、それぞれの社名を
もって今日に至っています。
-----------(丹生川上神社 公式サイトより抜粋)
【叶大杉】

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樹齢1000年余、樹高51.5m、幹廻り7.3mの杉の古木で大杉
の幹に両手を当て、心の願いを口唱すれば、ご神威が授かる処
から、大杉の前で祈る老若男女の姿が多くみられます。
-------------(丹生川上神社 公式サイトより)
【丹生のなでフクロウ】

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叶え大杉にいつの頃からか住みつき、丹生の杜の夜の番人
として境内を守って戴いています。ふくろうは「不苦労」
「福来朗」「幸福ろう」と書き、物事を察知し、先を見通し
知恵豊かな、しあわせをもたらす霊鳥として親しまれています。
山桜の樹齢200年余の老木に彫刻した〝なでふくろう〟の頭、
体、足などをなでて頂きお徳をお受け下さい。
-------------(丹生川上神社 公式サイトより)
★その2に続く!
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3567.html
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