検索でいきなりこの記事に辿り着いた人は、
遺構展示情報館の記事からどうぞ。
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一度見てみたかった場所にようやく行けました。
橋の辺りから、カメラを左から右に向けてみます。



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唐古・鍵遺跡史跡公園とは
https://www.karako-kagi.com/history/
今から約2,000年前の弥生時代、奈良盆地の中央に位置する
この地には、日本最大級のムラがありました。唐古・鍵遺跡は、
幾重もの環濠に囲まれた弥生時代の集落の遺跡です。
約42万㎡(甲子園10個分)という大きな面積を誇ったことや、
弥生時代前期から後期まで約700年間もの長い間、途切れずに
集落として存在し続けていたことなどが分かっています。
また、大きな建物があったことを表す遺構や、
土器をはじめたとした多くの遺物が出土しています。
遺物は、日本各地から運び込まれた物もあり、2,000年前の
弥生時代には、すでに地域を超えた大きな範囲での交流が
行われていたことが分かります。
こうした特徴から、この遺跡は、当時最先端の技術を持ち、
近畿地方のリーダーのような役割をしていた集落だったのでは
ないかと考えられています。
弥生時代研究にとって非常に重要な遺跡であることから、
平成11年に遺跡の中心部分が国の史跡に指定されました。
そして、この遺跡の地下に眠る遺構を末永く保存して
しっかりと次世代へ引き継ぐように、また、この遺跡を通して、
多くの人に歴史の面白さやこの地域の魅力を伝えるために、
遺跡の一部が史跡公園として整備されました。
---------------(公式サイトより一部抜粋)
【石器の石材は、西方の二上山から運ばれた】

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唐古・鍵ムラは、ここから西にも広がっていました。
およそ200m先の調査でもムラを囲む大溝がみつかっています。
また、西に見える二上山はここから12kmの距離がありますが、
その北麓からは石器の材料となるサヌカイトが採れます。
二上山の北にある「亀の瀬」は、奈良盆地の全ての川が
集まって大阪湾へと抜ける重要な渓谷です。
---------------------(案内板より)
【2200年前に建っていた大型建物跡】


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2200年前の大型遺跡跡(長辺13.2m×短辺6m)が発掘され
ました。柱にはケヤキ材が使われ、北西隅の柱は太さが83cm
(樹齢110年)もある弥生時代最大級のものでした。
高床の建物と推定され、大型倉庫の可能性があります。
復元では、建物の柱を床の高さ2mで表しています。
---------------------(案内板より)
【2000年前の宝石箱「褐鉄鉱」】

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唐古・鍵の弥生の人は、奈良県平群町辺りの30〜300万年前
の砂礫層の中でできた自然の鉱物「褐鉄鉱」を利用し、
弥生時代最大級・最上級のヒスイ勾玉を納めました。
この「褐鉄鉱」容器は、大型建物を区画する溝に埋納されて
いました。
---------------------(案内板より)
【300年前に造られた農業用溜池】


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唐古池は、今から300年前に造られた農業用の溜池です。
古文書の記録と堤防下の発掘調査結果から、江戸時代に
造られたことがわかりました。1936〜37年、国道24号線を
造る際にこの池底の土が使われました。
この時に調査がおこなわれていたことがわかりました。
---------------------(案内板より)
★その2に続く!
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