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2021年03月28日 (日) | 編集 |
2020.11.10 探訪
「黒塚古墳」にやって参りました。
天理市の黒塚古墳のページにパンフレットがありましたので、
こちらにリンクしておきますね(pdfで開きます)。
https://www.city.tenri.nara.jp/material/files/group/36/46977018.pdf

20201110_史跡_黒塚古墳_001

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 黒塚古墳は、墳丘の主軸を東西方向に置き、後円部を東に
する前方後円墳です。全長約130m、後円部直径約72m、高さ
約11mの規模を有します。後円部の調査では、中央部において
中軸に直交する、南北方向の竪穴式石室を検出しました。
 竪穴式石室は南北長さ約8.3m、北小口幅は約1.3m、
南小口幅は約0.9m、高さ約1.7mです。石室規模は全国第4位の
規模であり、特に墳丘の規模の比較からすれば長大な石室が
作られていたと言えます。
 石室の構造は、下部を3~4段が人頭大の自然石を積み上げ、
この上部から天井部までは板石により強く持ち送りながら
壁面を作っています。このため板石で積まれた壁面は、
断面が三角形状を呈する合掌式の竪穴式石室であることが
わかりました。
 石室内には南北長さ約6.2m、幅約1mの粘土で作られた
棺台が置かれていました。断面はU字形であることから、
本来は割竹式木棺がこのうえに置かれていたことでしょう。
ほぼ中央部は鮮明な朱色を呈しますが、分析の結果水銀朱が
付着しています。おそらくこの範囲が被葬者の埋葬された場所
と考えられます。

-----------------------(↓続く)

20201110_史跡_黒塚古墳_002

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 石室に残された遺物は盗掘を免れ、埋葬された当時のまま
出土しました。棺内の遺物は画文帯神獣鏡1面が立った状態で
あり、その両端からは刀剣が2振り置かれていました。
棺外では33面という大量の鏡が、棺と壁面の間、および
北小口に立てかけるように置かれていました。鏡式は全て
三角縁神獣鏡であるという点もこれまでにない特徴です。
そして鏡に重複するように、刀剣類、鉄鏃、槍などが出土
しました。
 今回の調査結果は、古墳築造に込められた当時の葬送思想の
解明ばかりか、初期ヤマト政権の樹立を究明する重要な資料と
なるでしょう。
         平成13年(2001)1月29日 国史跡指定

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

墳丘の方向にカメラを向ける。

20201110_史跡_黒塚古墳_003

20201110_史跡_黒塚古墳_004

【黒塚古墳の全景(南から)】
20201110_史跡_黒塚古墳_005

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 黒塚古墳は柳本町の市街地に所在し市民の憩いの場所と
なってきた。古墳時代後期に築造された全長約132mの
前方後円墳である。現在地は後円部の東側裾付近である。
この古墳は行燈山古墳(崇神天皇陵古墳)を盟主墳とする
柳本古墳群の中にあり、古墳群では最初に築造された古墳
であると推定される。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

墳丘から見下ろしてみる。

20201110_史跡_黒塚古墳_006

竪穴式石室があった場所を示すものが。

20201110_史跡_黒塚古墳_007

20201110_史跡_黒塚古墳_008

案内板があったので転載していきますね。
皆さんきっとサラッと読み流したりしてると思いますが、
毎回写真を編集しつつ、説明文を全て見ながらひとつひとつ
打ち込んでいる苦労もわかって頂けたら嬉しいッス。
(これって料理と同じだよね。調理には時間かかるけど、
食べるのだけはみんな早い。よく味わって食べて欲しいな)

20201110_史跡_黒塚古墳_009

【後円部に作られた竪穴式石室】
20201110_史跡_黒塚古墳_010

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 北側から竪穴式石室と副葬品が配置された様子を見ている。
棺内中央には画文帯神獣鏡と刀剣が置かれていた。画文帯神獣
鏡は、直径13.5cmで頭部付近にあり、周囲に置かれた三角縁
神獣鏡に比べても小さい。被葬者が日常的に使っていた鏡で
あろうか。頂上部を囲う石列は、竪穴式石室を構築するための
墓礦ラインを表している。東西15m以上、南北17m以上の
大規模な墓礦である。西斜面の2列の石列は墓道(作業道)を
表している。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

20201110_史跡_黒塚古墳_011

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 竪穴式石室は、現在の頂上から約2mの深さに作られている。
発掘調査により、盗掘や地震によって散乱していた石材や土砂
を取り除いた。竪穴式石室は、後円部のほぼ中央にあり、
長さ約8.3m、幅約0.9〜1.3mの規模で、南端付近での高さは
1.7mの長大な石室である。中央に赤く染まっているのが、
竪穴式石室の内部におかれた粘土棺床である。この上に長さ
6.2m、直径1mを超えるクワの巨木で作られた割竹形木棺が
置かれたが、すべて腐り残っていない。竪穴式石室の周囲には、
石室の構造を支えるための裏込石が集積され、さらにこの石の
上を粘土で被覆している。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

古代における赤(朱)色は、呪術的なものというか、
魔除け的な意味があるんですよ。今でも神社に朱色が使われて
いるのもそういった理由があるからです。ちなみに昔々、
朱色は「丹」と呼ばれ、顔料として硫化水銀が使われていて、
防腐剤や防虫剤としての役割も果たしていました。

(=゚ω゚)「……丹……辰砂……賢者の石!」
SERUNA:「はいそこ、話が脱線していくから黙ろう」

20201110_史跡_黒塚古墳_012

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竪穴式石室の崩落状況 
 地震で崩壊した竪穴式石室である。写真の中央が石室の空間
部分にあたるが、ここには左右の両壁から滑り落ちた板石が
空間を満たしていた。これにより、板石の直下にあった鏡など
の副葬品は盗掘から免れたのである。
地震は古墳が作られてから程なく発生したようで、強い揺れは
石室以外の場所でも影響が観察された。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

20201110_史跡_黒塚古墳_013

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石室の南側 
 竪穴式石室の南側が破壊を免れていた。
石室は床面から1.7mあり、両側壁面が天井部で重なる合掌型
の構造である。大和古墳群でも初期に築造された竪穴式石室
に採用されたが、石室構造が不安定であるため類例はない。
 石室の下部は3〜4段を川原石で構築し、上部は板石を強く
持ち送る。川原石にはベンガラが塗布され石室内の荘厳を醸し
ている。


-----------------(黒塚古墳 案内板より)

北西方向を撮影。遠くに見える山は恐らく「松尾山」。

20201110_史跡_黒塚古墳_014

箸墓古墳がある南の方向。

20201110_史跡_黒塚古墳_015

★その2に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3638.html


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