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墳丘から降りていきましょう。
階段を降りた辺りがちょうど古墳のくびれ部分です。
後円部から前方部にカメラを向け左から右に。



【城郭に利用された跡】

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くびれ部付近で検出された掘割である。
V字状にうがたれ、上面の幅は6mあり、深さは3mに達する。
後円部と前方部を分断して、後円部を主郭として守りの要と
したのであろう。室町時代後半の戦国時代になると古墳が
大幅に改変されて砦として利用されたのである。
-----------------(黒塚古墳 案内板より)
振り返って後円部の墳丘を見る。


前方部にカメラを向ける。

ぶらっと歩いていたらこんなものが。



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碑文の要旨
文政六年(1823年)壬未の歳の春(旧暦二月)鬱蒼と茂った
黒塚を整地し、頂上に稲荷神の祠と、この碑を並べて立てた。
柳本藩中が安けく穏やかであり嘉穀が豊かにみのりますように
と神に祈り鎮守の森となりますように。ということである。
石碑は柳本村民が、立てたものである。
-----------------(黒塚古墳 案内板より)
内堀側の景色。

黒塚古墳の案内図。

古墳へのアクセスはこちら。
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黒塚古墳
http://www.nantokanko.jp/midokoro/1380.html
住所/奈良県天理市柳本町1118-2
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