「崇道天皇八嶋陵」にやって参りました。


崇道天皇(早良親王)は「天皇」とついてはいるが、
正式には皇位継承をしていない。色々とややこしい事があって
(この辺長くなるので気になる人は各自調べて下さい)
怨霊と呼ばれてしまい、その御魂を鎮める為に早良親王は没後
「崇道天皇」と追号された。

日本の三大怨霊は「菅原道真・平将門・崇徳天皇」
と言われていますが、崇道天皇はそれを遥かに凌ぐ大怨霊だと
言われ恐れられていたそうな。でも今は神としてお祀りされる
事によりありとあらゆる厄災から守ってくださっているので、
必要以上に怖がらなくても大丈夫です。ご安心を。
歴代天皇の御陵を思い浮かべると、必ず見える場所に鳥居が
立っていると思うのですが、崇道天皇の御陵の鳥居はなぜか
白壁の内側にあるのが不思議ですね。

↑門の裏にチラッと見えるのがそうです。
現地で写真を撮り忘れたのでGoogleストリートビューから。
こちらは御陵入り口前の道路にある「八つ石」。

この辺一体は「八島町」という地名である。
八島の名前の由来は早良親王がお隠れになったあと、親王から
「九つの石を投げて落ちた所に葬って欲しい」という夢のお告げ
により石を投じたところ、その内の八つがこの地に落ちた為、
ここに葬られたという伝説が残されている事から。
…が、実のところこの巨石は崇道天皇の時代よりさらに遡った
古墳時代のもの(石室の一部)で、崇道天皇とは関わりのない
ものだという見方がある。ちなみにこの石を取り除こうとすると
祟られると恐れられたりもしたそうな。
とても静かな場所でしたよ。(´ω` )
【豆知識】
「お彼岸」の起源は崇道天皇の御霊を鎮めるため、大同元年
(806)に諸国の国分寺に春秋の七日間、金剛般若経を読経
したことから始まっています。
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早良親王は、かすかに記憶に残っているような気はしますが、追諡されたことはその経緯は全然。
教養の不足を痛感しますねー。
久し振りのコメントありがとうございます♪
「早良親王」は記憶が確かなら、
中学か高校の日本史の教科書に出てきたと思うんですが、
なにせ学校で教えてくれる授業なんて薄っぺらな物
でしたし私も「そういえばそんな話も…」程度でしか
覚えていませんでした。
興味を持って調べるって大事ですね。
自分もまだまだ勉強せねばと思いました。