その1のレポートを見ていないかたはこちらから。
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■出早社
入口御門をくぐる前にまずはこちらの『出早社』を。
この摂社に祀られているのは、出早雄命。諏訪大神の御子神
であり、地元の人からは「お諏訪様の門番神」として
崇められています。また、古くからイボ石神ととして敬われ、
小石を捧げてイボの全快を祈る風習が残されているとの事。
(お社に小石が幾つも置かれてました)
取り敢えずイボ云々は関係無く、諏訪大社の門番さんという
ことで先にココでご挨拶…な感じでお参りを済ませました。

■入口御門・布橋
さて、門番さんにご挨拶を済ませたら入口御門をくぐります。
これは文政十二年(1829)に建立されたもの。
上社宮大工棟梁である原五左衛門とその弟子藤森廣八が構築し、
巧緻な彫刻が施されています。
御門をくぐると『布橋』と言われる廊下になっております。
この廊下は約70m、三十八間あり、明治維新までは上社の
大祝のみ通った場所で、その時に布を敷いた事からこの名が
付けられているそうです。

■大国主社
入口御門より布橋を歩いていると左手にあります。
この摂社の御祭神は大国主命。説明不要。言わずと知れた
諏訪大社の御祭神『建御名方神』の父神にあたるかたです。

さて…布橋を抜け、塀重門をくぐり、やってきましたよ。
写真向かって左側が『参拝所』、向かって右側が『勅願殿』。

信濃國一之宮 諏訪大社 上社本宮
http://suwataisha.or.jp/honmiya.html
御祭神:建御名方神
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御鎮座の年代について、詳しく知ることはできませんが、
『古事記』その他の書物から推測して少なくとも千五〜六百年
から二千年前と言われており、我国で最古の神社の一つに
数えることが出来ます。北は北海道から南は九州鹿児島に至る
全国に勧誘された御分社の数は壱万有余にも達し、その総本社
であり、昔から諏訪大明神、諏訪南宮法性上下大明神、
又はお諏訪さまと親しまれ、雨や風、水の守り神として竜神の
信仰も古く、国土開発、農耕生産、開運招福、交通安全の
守り神として篤く崇敬され、特に歴代の朝廷をはじめ部門武将
からは勝負の神、軍さ神として崇められ日本第一大軍神、
又は東関第一の軍さ神と称えられて来ております。
--------------(諏訪大社 参拝の栞より抜粋)
幣拝殿は現在、修復保存工事を行っておりますので、
参拝所から見えるのは、現在パネル写真でございますw

数年前はこの横にある絵馬を掛ける場所に東方の痛絵馬が
かかりまくっていたんだよなー。今はもう本宮では見ませんね。
ヲタが食いつく物には流行り廃りってモノがあるから多分飽きて
どっか行ってしまったんでしょ。イナゴ野郎が多いなー。
ま、こういうのは本当に神社や神社の御祭神が好きな人だけ
残ってくれればいいんですけれどもね。
■勅願殿※勅願とは天皇の祈祷という意味。
昔は行事殿とも御祈祷殿とも言われ、朝廷や諸侯の祈願を
行った所とも伝えられている。現在の建物は、元禄三年(1690)
に諏訪高島藩によって建てられたものを安政年間に修理したもの。
幣拝殿が大社の恒例祭典や重要神事を斎行して国家安泰並公事
を執行する場であるのに対して、勅願殿は個人私事の祈祷を
行う場所である。

境内案内板によると『勅願殿』の後ろの山は諏訪大社の神体山。
ここに来ていつも不思議に思うのが、参拝所が幣拝殿を向いて
いるというのはわかるのですが、神体山が勅願殿の後方に
あるのですよね。つまり神様に対してそっぽを向いて
お参りをしているという事。謎ですね。
(記事:©SERUNA)
【余談です】
神社めぐりをしていると、その地にのみ伝わる物語や
神社の御由緒など、時に記紀にはない物語などに出会ったり
します。全ての物語を総合して考えても矛盾が生じることも
珍しくはありません。…ですが、これらの物語は確かに
この地で「何か」があったからこそ今日まで伝えられて来て
いるのではないかなと。物語全てを鵜呑みにするのでは無く、
『物語の背景に何があったか』を考えるのが重要なのでは
ないかなと常々頭に置くようにしています。
★その3に続く。
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