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2014年08月20日 (水) | 編集 |
神社じゃないけどタイトルは気にしないで欲しい。
一応、守矢家は諏訪大社に関係しているのでこのままでいきます。


8日の時系列についてはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-347.html
箸休めのイラストを見ていない人はどうぞw
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-371.html


2014.8.8探訪
さて…諏訪大社の上社をお参りした後は、
近くにある『守矢史料館』という場所へ立ち寄ってみた。
一見普通のお家にも見えますが、ここで貴重な資料を見る事
が出来ます。…というか守矢さんのお家の敷地内に史料館が
あるんですけれどもw

20140808_moriya_001.jpg

神長官 守矢史料館
http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1000001465000/
----------------------------
神長官守矢家は古代から明治時代の初めまで、
諏訪上社の神長官という役職を勤めてきた家である。
大祝諏訪氏は、現人神(生き神)であり実際に神事を
取り仕切っていたのは、神長官をはじめとする五官祝である。
五官祝には、祢宜大夫守屋氏・権祝矢島氏・擬祝伊藤氏・
副祝長坂氏がいた。


-------------(守矢史料館パンフレットより)

玄関を入ってすぐ左手には『祈祷殿』がございます。

■祈祷殿
神長官家の祈祷は一子相伝で、神長以外他の何人もたずさわる
を許されず、神長が祈祷殿に籠って祈祷調伏したという記録が
残されているそうです。
明治五年前の家屋建物の図によれば現在この祈祷殿のある位置に
神使精進室屋敷と言われる建物があり、ここに籠って御頭役の
神使達が精進潔斎を行い、その上で前宮での神事に参加をした。
元々の祈祷殿は精進室に対し、少し離れた東側に屋敷とは
直接繋がらずに建っていたようです。

祈祷殿は明治八年に一度取り壊されたけれど、
伝統が消え去るのを惜しみ明治二十年に再建され、
現在の建物は昭和五年に改築されたもの。
茅野市有形文化財に指定され、立ち入りは出来ません。

20140808_moriya_002.jpg

『一子相伝』っつーと某アニメを思い出すのは私だけだろうかw
などいう、どうでもいい話は置いといて…

手元に『神長官守矢史料館のしおり』がございます。
史料館で200円で手に入れることが出来ますよ(と宣伝しておくw)。
現在の守矢家七十八代、守矢早苗さんのお話が載っていますので、
少し抜粋して書かせていただきます。

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 諏訪盆地には、『古事記』に書かれた出雲の国の国譲神話
とは別にもうひとつの国譲神話がいい伝えられています。
そのことは、室町時代初期に編まれました『諏訪明神画詞』
などに記されています。

 それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話に
なりますが、出雲系の稲作民族を率いた建御名方命がこの盆地に
侵入しました時、この地に以前から暮していた洩矢神を長とする
先住民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。
建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪を掲げて戦い、
結局、洩矢神は負けてしまいました。その時の両方の陣地の跡
には今の藤島大明神(岡谷市川岸三沢)と洩矢大明神
(同市川岸橋原)はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、
洩矢大明神の祠は、現在、守矢家の氏神様の祠ということに
なっています。


--------------------★更に物語は続く。

「建御名方神vs洩矢神」のバトルってなんかシビれるなぁ。
藤の蔓に鉄の輪というアイテムがカッコええ。
あぁ、悶々と物語が脳内で。双方の能力はパワー系ッスかね。

(だから妄想はその辺に置いとけと…)

20140808_moriya_003.jpg

上の写真は祈祷殿の隣。

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 さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、
ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。
このようにして諏訪の地は中央と繋がり稲作以後の新しい時代
を生きてゆくことになりましたが、しかし、先住民である洩矢の
人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたり
したわけではありませんでした。
このことは諏訪大社の体制を見ればよく分かります。
建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就き、
洩矢氏の子孫の守矢氏が神長(のちの神長官ともいう)という
筆頭神主の位に就いたのです。


大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また即位に
当っての神降ろしの力や、呪術によって神の声を聴いたり
神に願いごとをする力は神長のみが持つとされており、
こうしたことよりみまして、この地の信仰と政治の実権は
守矢が持ちつづけたと考えられます。

----------(神長官守矢史料館のしおり より抜粋)

★その6に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-373.html


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