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守矢家の敷地内にある史料館の外観です。
ここの館長さんらしき人が色々とお話しをしてくれた。
優しくていい人だったよ。( ´ ▽ ` )ノ

この史料館の存在は以前から知っていましたが、
ウチの旦那が「通りすがりにあるし折角だから見に行きたい」
と。ここにある御頭祭の供物を復元した展示物は、天命四年
(1784)三月六日に旅行家『菅江真澄』という人物が
御頭祭を見聞して書き残したスケッチを元に再現されている
そうだ。
撮影可能な場所は『神前供物の復元』と『神前祭具の復元』
の場所のみ。その奥は撮影禁止となっています。
∑(゚Д゚) うひょぉぉ!ウサちゃんがぁぁぁ!

(注:これは標本ですw)
御頭祭の時に鹿の頭と一緒に捧げられるヤツです。
生々しい感じですが神事には欠かせません。串刺しウサちゃん
の両側に刺さっているやつは猪の頭皮や鹿の皮を焼いたもの。

脳も無駄にはしません。
写真右側→『脳和(のうあえ)』鹿の肉と脳の味噌和え。
写真左側・中央→『生兎・生鹿』肉を煮て味付けしたもの。
※「五臓』も並んだらしい。

(注:これは食品サンプルですw)
菅江真澄のスケッチによれば、神への捧げ物としてこの他に、
白鷺・山鳥・フナ・ブリ・エビ等があり、列席者の前には
餅・かや・山芋等が置かれたと史料館の栞に書いてありました。
大勢の史官が敷皮の上に並び、この供物を下ろし、
神人一体となって食すのです。
以下、その他のアレ。
御頭祭では鹿だけでなく猪やカモシカを含めた時代もある。
中世には、頭だけでなく体全部が献ぜられ、
「禽獣の高盛」が出現した。

(注:しつこく言いますけれど、これは標本です)
神前に献ずる七十五頭の鹿の首の中には必ず耳が裂けたもの
があり、これは神の矛にかかったものだという。

【神前祭具の復元】こちらも供物と同様、
菅江真澄の残したスケッチを元にして再現された物のようです。
■御贄柱
植物のような物がゴチャっと付いているのは、
『御贄柱』と言われるもの。
「おにえはしら」「オンネバシラ」とも「御杖」とも言われる。
柱の上端を尖らせ、これにヒノキ、コブシ、ヤナギ、ジシャの木、
そして柏の葉に麹を盛ったものを折りバシに差して取り付け
矢を付ける。これを篠のムシロの上に置きます。

御贄柱に巾着のようなものを被せられているのは『サナギ鈴』。
この鈴は神使の首にかけたり、御贄柱に取り付けたりして、
神使の地域巡行の道中を運ばれていったという事らしい。
鍛造した薄い鉄板をメガホン状に丸めて、上端部に閂を通し、
内部に鉄の舌を吊し、鈴の形に作ってあります。守矢家では
この鈴を神器として扱っていましたが、明治維新後の明治六年
に守矢家から諏訪大社上社に三組を移管し、
一組を残したと言われています。
佐奈技(サナギ)鈴を鳴らすのは「契約のしるし」。
神使巡行は各地のタタエにおいて、ミシャグチ神を降し、
豊饒を約束し、御礼として農作物の何割かを貢上する約束と
見られる。ミシャグチ神の元で約束の鈴を鳴らし、
違約のある時はミシャグチ神の祟りがあると信じられてきた
という事です。

下の写真は『根曲太刀』『藤刀』『弓矢』。
藤刀というのは藤蔓の皮を巻いた短刀。神官がこれで御贄柱
の頂部に刻みを付けた。根曲太刀は御頭祭に参加する神官の
一人が差していた。

★その7に続く。
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