fc2ブログ
定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2021年08月16日 (月) | 編集 |
2021.8.13 撮影 
つい最近焼津神社に行った時に社務所を覗いてみたら、
展示されていた刀がまた変わっていました。説明によれば、
「杉本敏雄氏 奉納 焼津市東小川 熊野神社蔵」とあり。

撮影大丈夫ですよという事で、写真を撮らせて頂きました。
※ただし獅子頭だけは撮影禁止なので注意。

20210813_焼津神社_日本刀_001

20210813_焼津神社_日本刀_002

【刀 兼成(かねなり)】
20210813_焼津神社_日本刀_003

20210813_焼津神社_日本刀_004

----------------------------
刀 兼成(かねなり)
長さ 71.6cm(2尺3寸6分) 室町時代
 室町時代になり、応仁の乱以降、各地で戦争が激化した。
その為刀、槍などの武器の需要が多くなった。特に美濃国
(岐阜県)では織田信長や武田信玄など多くの戦国大名から
の注文が増え、一大刀剣生産地となった。兼成も関の刀工の
一人で、応永(1394年)から天文(1532年)頃に活躍した。
本作は、地鉄が板目肌に流れごころが交じり、刃文は互の目
に尖り刃が混交じる典型的な刃文を焼いている。

---------------------(説明文より)

【半太刀拵(はんだちこしらえ)】
20210813_焼津神社_日本刀_005

20210813_焼津神社_日本刀_006

----------------------------
半太刀拵 
 太刀は刀を下にして身につける。これを「太刀を佩く)」
と称す。また打刀は刃を上にして身につける。
これを「打刀を差す」と称す。
半太刀は太刀から打刀への過渡的な様式として考えられ、
室町時代後期から江戸時代初期までの、戦闘様式や文化・
風俗の転換期に発生し、流行している。
この兼成の半太刀拵は江戸時代中期頃に製作されたものと
思われ、金具類は太刀の形式を踏まえ、赤銅石目地の
揃金具を用いており、その当時の姿をよく残している貴重な
拵である。

---------------------(説明文より)

【脇差 忠吉(ただよし)】
20210813_焼津神社_日本刀_007

20210813_焼津神社_日本刀_008

----------------------------
脇差 忠吉 
長さ 41.0cm(1尺3寸5分) 江戸時代
 初代忠吉は江戸時代初期に肥前国、鍋島家に抱えられ、
明治まで十代続き、九代までが作刀し、直刀をもっとも得意
とし、乱刃もある。本作は幕末期の忠吉の作と思われ、
重ねが厚く、身幅の広い、健全で豪壮な平造り脇指である。
地鉄は肥前刀の特徴である小板目がよくつんで綺麗であり、
自沸が厚くついた小糠肌となっており、刃文は匂い口の深い
直刀を明るく焼いており、出来の良い脇差である。

---------------------(説明文より)

これ以前に焼津神社で展示されていた刀の記事が見たい人は
ブログ内検索「焼津神社 刀」でご覧になってください。

けっこうこまめに換えて展示されているようですね。
これから焼津神社へ足を運ばれるかたは、
是非社務所へも足を運んでみてはいかがでしょう。
美しい刀を見る事が出来ますよ♪


ブログに訪問ありがとう。
日本刀の美しさがわかる人は拍手をポチッと♪
関連記事
テーマ:静岡県
ジャンル:地域情報
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック