ここは焼津市城之腰。
海から近い場所に庚申さんと波除け地蔵尊が鎮座。
このあたりの地域の人々をお守りして下さっています。

順番に説明していきますね。

下の写真正面、杖を持った像が「庚申尊」。
その隣のお地蔵様が「波除け地蔵尊」。

【庚申尊】
写真、頭の部分が切れてしまいました… (´・ω・`)
「庚申さん」は昔からここにありましたが、
この像自体は比較的新しいものかと思います。


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庚申尊(こうしんさん・猿田彦命)
道教の守庚申より出た庚申(かのえさる)の年や日の
禁忌行事を伴う信仰で町内安産の守り神となっています。
庚申信仰は神道の「猿田彦」も庚申も猿どうしで、中世から
道祖神(さるたひこのみこと)の信仰と結びついた神様です。
ここにある庚申像は姿が「猿田彦命」であり「南無帝釈青面
金剛明王尊」と正面に記されています。
庚申(かのえさる・こうしん)は十二支の六十通りある組合せ
の一つであり、年・月さらに日(六十日ごと)が相当します。
【初庚申祭礼1〜2月】
----------------------(説明文より)
【波除け地蔵尊】
庚申尊の横に鎮座するお地蔵様が波除け地蔵です。

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波除け地蔵尊
昔 鰯ヶ島、城之腰、御休町の「波除け地蔵尊」として
まつられました。その後堤防工事や台風など一時不明になり
ましたが、無事戻り近年まで台風などのたび町内の安全を
ご守護いただきました。
また、悪病から救ってもらうために町の多くの人が
おすがりし、「横丁のお地蔵さん」として親しまれました。
その後「波除け」「先祖の供養」「後世の安泰と各家繁栄」
「無病息災」の祈願をこめて庚申尊の中にまつられています。
【祭礼8月】
----------------------(説明文より)
【津島さん】
鳥居の向こうに鎮座するのが「津島さん」。
向かってその右側に立つ石碑は「天皇行幸記念碑」。

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津島さん
東海地方を中心とした神道の信仰です。
祭神は「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」。
「疫病・厄除けの大神」で知られており、町内の守り神と
なっています。
【祭礼10月】
----------------------(説明文より)
すぐ側にはこんな石碑が…
この辺りがどんな所だったかを説明するものです。


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札の辻(浜通りー城之腰)
この地は江戸時代、生活に関わる全ての決まり事を板や紙に
書いて掲示した場所(高札場)であり、ここを「札の辻」と
呼んでいました。昔より浜通りは三つの村で構成され
【南ー鰯ヶ島・中ー城之腰・北ー北新田(北浜通り)】、
船の出入りに関係の深い通りであり人通りも多く、この近辺が
当時の中心であったと伺えます。
船など漁業関係者の「浦高札」や「吉利支丹高札」
「火付高札」など、さまざまな高札が立てられました。
----------------------(説明文より)
波除け地蔵尊などを見ると「焼津は海と共に生きる町」
という事がよく伝わってくるようです。
この先もずっと大事にしていきたいものですね。
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こんなところで猿田彦に出会うとは。
道教からの庚申信仰と神道の「猿田彦」が猿が縁で結び着いた、というのは神仏習合ですね。
庚申信仰も知らなかったので調べたら、寝てはいけない日があったとのこと。
でもそれを逆手に取って夜更かしで遊ぶ口実にしていたふしもありそうで面白いです。
ところで、波除け地蔵さんは誰かに似ているような、そんなお顔ですね。
いつもコメントありがとうございます♪
日本は八百万の神の国。
どんな神も仏も取り入れてしまいますからね。
庚申信仰、私はだいぶ前に知りました。人の中に住み着く三尸という虫が庚申の日、神様にその人間の罪を告げ口しに行くのを阻止するために徹夜をする…と。食事をしながらお喋りして夜を明かすそうですね。初めて知った時はあまりに楽しそうで「一度やってみたい」と思ったほどですw
>波除け地蔵さんは誰かに似ているような
こんな顔の人、確かに居そうですね。