蓮華寺池公園を訪れた日(↓)に撮影しました。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3790.html
藤枝市郷土博物館の横に展示される駿遠線SL「B15」。
かなり小さめなSLです。

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日本一の軽便鉄道「静岡鉄道駿遠線」
大正から昭和にかけて、藤枝から袋井を結ぶ軽便鉄道が
走っていました。軽便鉄道とは軽便鉄道法(1910年制定)に
もとづき建設された簡便な鉄道のことをいい、
路線幅は762ミリと狭く、国鉄(現JR)在来線の1067ミリの
約3分の2でした。開業当初、鉄道名は藤相鉄道でしたが、
昭和23年(1948)、西駿河の藤枝と遠州袋井を結ぶ長大な
路線となり、静岡鉄道駿遠線と改称されました。
軽便の歴史は、明治44年(1911)、当時の藤枝町をはじめ
志太・榛原地域の有力者35名が発起人となり藤相鉄道株式会社
を設立したことに始まります。大正2年(1913)大手駅〜藤枝
新駅間が開業、大正7年には相良駅まで開通しました(のち
岡部や地頭方面へも延伸)。国鉄藤枝駅へ接続する藤相鉄道は、
藤枝の特産であるお茶・みかん・志太梨をはじめ、志太・榛原
の特産物を輸送・出荷するための鉄道として、地域の発展に
重要な役割を果たしました。
-----------------------(↓続く)

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昭和18年(1943)、太平洋戦争中の国策により静岡鉄道
株式会社に合併され、昭和23年に袋井駅〜新三俣駅間を運転
していた中遠鉄道と連結して静岡鉄道駿遠線となりました。
大手駅〜袋井駅間の全線の総延長は64.6kmとなり、
昭和戦後に営業した軽便鉄道では日本一の長さを誇りました。
昭和20〜30年代、終戦直後の食料買い出し客や、
高度経済成長期の通勤・通学客、夏の海水浴客で大変賑わい、
「軽便」の愛称で親しまれました。しかし、バス・トラック・
マイカーの普及によるモータリゼーションの波や、
大井川木橋の老朽化により営業を続けることが困難となり、
昭和39年(1964)から区間ごとに順次廃線となりました。
昭和45年(1970)7月31日、最後の新藤枝駅〜大井川駅間が
廃止となり、57年に及ぶ軽便の歴史は惜しまれながら
幕を閉じました。
---------------------(案内板より)

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軽便SL「B15」正式名称 静岡鉄道 B8形 15号機
太平洋戦争中に設計された立山重工業製(富山県)の
8トンB形タンク式の国産蒸気機関車。戦時設計のため角ばった
簡素な造りとなっています。駿遠線では昭和20年代に走行
しました。駿遠線に在籍した車両は合計153両あるましたが、
唯一の現存車両です。
廃線後、静岡市の駿府公園内の児童会館で保存展示された後、
昭和63年(1988)、静岡鉄道株式会社から郷土博物館へ寄贈
されました。駿遠線の歴史を後世へ伝える生き証人であり、
軽便のまち藤枝が誇る貴重な鉄道遺産です。
---------------------(説明文より)





駿遠線は私が生まれた頃には既に廃線となっていましたので
どんな様子だったのかは全くわかりませんが、
かつて鉄道が通っていた場所や駅があった場所などを辿ると、
(完全に消滅している所もありますけど)サイクリングコース
や生活道路となっている所、境界杭が残っている所、橋の下に
枕木が残されてある所もあったりと僅かにその名残を感じる事
が出来るみたいです。
YouTubeから動画を拝借。
廃線跡を辿っていらっしゃる人がいました。
【ぶらり廃線跡の旅】静岡鉄道駿遠線1/3(駿河岡部~新相良)
★その2に続く!
→http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3808.html
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