「四條畷神社」にやって参りました。
この神社の御祭神は楠木正行公(小楠公)はじめ25柱。
小楠公は楠木正成公の嫡男で、大阪府千早赤阪村に生まれた
南北朝時代、南朝の後村上天皇に仕えた武将です。


鳥居をくぐって進みましょう。


途中で可愛い猫さんに出会う。
逃げられそうだったけどギリギリまで近づいて撮影。

石段を登りきったところで見える風景。

上の写真、手前に鎮座する二社について。

【有源招魂社】

御祭神/天御中主大神、天照大神、大物主神
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飯森山の東峰に霊妙な有源山が在ります。
かつてその所に成人教学研究所があり内外古今の先哲先人の
御霊が合祀されて研修諸生の崇敬の的でありました。
可搬当四條畷神社境内に新しく神殿を封建。
平成十九年四月七日、有源招魂社称して御鎮座になりました。
本社には南朝の忠臣楠正行公と、母堂久子刀自命が奉仕され
更には菅原道真公を奉仕する楠天神社が在ります。
この度有源山の諸文神があわせ奉祀されるに及び文武の両道と
知仁勇の三徳が弥増に尊崇されますよう、謹んで祈念いたす
次第であります。
--------------(四條畷神社 案内の石碑より)
【楠天神社】

御祭神/菅原道真公
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御祭神は菅原道真公。
日本文化を大切にされた至誠の人・学問の神。幕末の志士。
真木和泉守等は殊に菅公・楠公を崇め、鑑として仰ぎ、
明治維新達成の原動力となった。
----------------(四條畷神社 案内板より)
手水舎がまた素敵だったんですよ。
浮き玉が沢山浮かんでいる中に陶器の猫ちゃんもプカプカ。




さてお参りしましょう。


四條畷神社
https://twitter.com/nawatejinja
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御祭神/贈従二位 楠木正行卿、贈正四位 楠木正時卿、
贈従四位 和田賢秀卿、外 殉節将士 二十四柱
御鎮座地/大阪府四條畷市南野(飯森山麓
創立/明治天皇の思召により明治二十二年
別格官幣社に列格仰下され翌年鎮座
摂社/御妣神社 正行公御母
楠正行公は楠正成公の嫡男であり正成公の大楠に対して
小楠公と申し上げる。卿は延元元年(1336年)湊川へ出陣を
せられる父君と桜井の駅にて決別されたが、時に御年十一歳
爾来母君に孝養を尽して臥薪嘗胆読書練武に励み、
報恩の至情を捧げた。正平二年(1347年)十二月後村上天皇
に拝謁。国難に殉せん事を誓い如意輪堂の扉に鏃をもって
決死の和歌を遺された。
翌年正月敵将高師直の軍勢八幡を発し河内に至るや正行卿
一族は募兵よくこれを迎え撃ち獅子奮迅せられたが
満身に創を受け遂に殉節せられた。時に御年二十二歳の青年
であった。この正義に燃えたる小楠公の事績と吉野朝史の
一齣は四條畷に永く留められ、万古に変らぬ飯森山は
青少年の徳義昂揚を叫び老松は史蹟を語っている。
----------------(四條畷神社 案内板より)
四條畷神社の社殿に向かって左手側には、
正行公のお母さんが祀られた「御妣神社」があります。

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西側のお社は、御妣(みおや)神社と言います。
正行公の母上をお祀りし、正行公亡き後、御兄弟を南朝の忠臣
として育て上げた女性で、賢母の誉れ高く、安産の神、
子育ての神として、崇敬されております。
御本社に引き続き、お詣り下さい。
----------------(四條畷神社 案内板より)
YouTubeから動画を拝借。
【南北朝時代】135 楠木正行の最期 四條畷の戦い【日本史】
神社のから少し行った場所に楠木正行公のお墓がありますが、
時間の都合でお参りに行けませんでした。
【おまけ】
四條畷神社の絵馬。



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