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楼門をくぐりました。参道を進みましょう。

三光門の前に鎮座する境内社。
向かって左手側、手前は「福部社」と奥のは「老松社」。

向かって右手側、手前「白太夫社」奥「火之御子社」。

【三光門】
重要文化財だそうです。
「天満宮」の勅額は後西天皇の御宸筆だそう。

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本殿前の中門で、日・月・星の彫刻があることから三光門
と呼ばれます。ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、
「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」に
数えられています。
--------------(北野天満宮 公式サイトより)
お参りしましょう。

北野天満宮
https://kitanotenmangu.or.jp/index.php
御祭神:菅原道真公
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菅原道真公(菅公)を祀る全国約一万二千社に及ぶ天満宮
・天神社の総本社。「和魂漢才」の精神を提唱された菅公は、
後に「文道大根 風月本主」と称えられ、学業成就や厄除、
技芸上達の神として信仰を集めている。
村上天皇天暦元年(947)、平安京の北西(天門)に創祀
され、天徳三年(959)藤原師輔卿が御社殿を造営、以来
朝野の崇敬篤く、殊に一條天皇には「北野天満大自在天神」
の神号を賜り、格別の尊崇を受け、「天神さま」として全国
に伝播した。
また、天正年間には豊臣秀吉公が境内一帯の北野松原で
北野大茶湯を催し、慶長年間には出雲阿国が京において
初めてややこ踊り(歌舞伎踊り)を演じるなど、日本文化
発信の中心地として強く意識されてきた。
-----------------------(↓続く)

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現在の御本殿(国宝)は、豊臣秀頼公が、慶長十二年
(1607)に造営されたもので八棟造と称し、
権現造の原型となった桃山建築の代表的遺構である。また、
中門は三光門と呼ばれ、後西天皇御宸筆の勅額「天満宮」を
掲げている。
宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻・承久本(国宝)
をはじめ、貴重な文化財を多数蔵している。毎年二十五日の
御縁日(天神さんの日)には多くの参拝者で賑う。
-------------(北野天満宮 境内案内板より)
御本殿を横から。
写真、ちょっと暗っぽくなってしまいました。

文子天満宮に行く途中で、「フゥゥー…ナァーン…」という
奇妙な声が聞こえたと思ったら猫さんが喧嘩してました。
通りかかった他の参拝者もみんなで見守って可笑しくなったw
「自然界の事だから人間は手を出せないねぇ」
「可愛いけどこの子たちにしてみたら必死よね」
「どっちも頑張れよー」



【文子天満宮】
地元のお婆さんが話しかけてきまして…
「私、毎日この神社で手を合わせる事が日課なのよ」と。
(※文子天満宮には毎日欠かさずお参りしてるらしい)
熱心なかたがいるんだなーと。

御祭神:菅原大神(菅原道真公)
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道真公が太宰府で生涯を閉じられて四十年を経た天慶五年
(942)右京七条二坊(現在の京都市下京区千本通り七条辺)
に住む巫女多治比文子に菅公の神霊より、わが魂を右近馬場
(現境内地)に祭れとのお告げがあり、文子はとりあえず
自宅に菅公の御霊をお祭りした。これが北野天満宮の発祥で
ある。 その後、他の霊能者にも同じご神託が相つぎ、
天暦元年(947)天満宮は現在地に移された。文子の住居跡
は神殿につくり改め文子天満宮と称えられてきたが、やがて
西の京に移され、さらに明治六年この場所に遷座された。
-------------(北野天満宮 境内案内板より)
★その3に続く。
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