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御神苑の方へは行かずに引き返す。

社務所前に虎のぬいぐるみが置いてあった。
背に鞍を乗せたでっかいねこ。何これ可愛い。

でも見て欲しいものは虎じゃなくて、きっとこの鞍。

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この鞍は、今から332年前の元禄二年(1689)の作との
刻印があり、大正十五年(1926)に本多正憲子爵が鎌倉宮に
奉納されたものです。
ちなみに、本多正憲子爵は、下総国舟戸藩(現千葉県柏市
舟戸)藩主・本多三弥左衛門正重の子孫です。三弥左衛門正重
は、本多佐渡守正信(徳川家康の信頼厚かった謀臣)の弟。
あの織田信長から「海道一の勇士」と賞賛された、
槍を得意とした剛勇の武将です。
なお、この鞍が作られた元禄二年は、あの松尾芭蕉が
「奥の細道」の旅に出た年でもあります。
---------------------(説明文より)
鞍を乗せた虎の足元に、猫ちゃんの写真がいっぱい。
…と思ったら宮司さんが猫好きだからなんですね。
同じ猫派の人には親近感がわく。


【亀若丸】
長寿を願い亀若丸さんを撫でたあと、
折り鶴をひとつ持ち帰る。鶴と亀で健康長寿に。
初穂料100円。



寄り道ばかりしてしまいましたが、お参りしましょう。


鎌倉宮
https://www.kamakuraguu.jp/
御祭神/護良親王
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鎌倉宮の御祭神である大塔宮・護良親王は、幼少より英明・
勇猛な御方でした。 比叡山延暦寺の天台座主となられた親王は、
父帝・後醍醐天皇が目指された理想の為に御自ら奮闘・活躍
され、遂に鎌倉幕府打倒を果たされて平和な世を実現、
征夷大将軍・兵部卿に任ぜられました。
しかし、足利尊氏の陰謀によって鎌倉二階堂に幽閉の御身
となり、建武2年(1335)旧暦7月23日、御年28歳にて
苦闘のご生涯を閉じらたのです。
明治天皇は、親王への追慕の念が真に篤く、明治2年
(1869)勅旨を以て一社をご創建され御自ら社号を鎌倉宮と
定められ、永く親王の御霊を祀られました。
そして同6年(1873)には明治天皇の行幸を仰ぎ、
官幣中社に列格されたのです。
----------------(鎌倉宮 公式サイトより)
拝殿奥には御本殿。

その隣には「村上社」。


護良親王の忠臣、村上彦四郎義光公の像。
ここでは「身代わり様」と呼ばれているようだ。
自分の治したい所、よくして欲しい箇所を撫でたあと、
絵馬に願いを書いてお参りをします。



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撫で身代りの由来
村上義光公は護良親王の忠臣にして元弘三年(1333)正月
吉野城落城の折、最早これまでと覚悟を決めた護良親王は、
別れの宴をされました。
そこへ村上義光公が鎧に16本もの矢を突き立てた凄まじい
姿で駆けつけ、親王の錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき、
自分が着用して「われこそは、大塔宮護良親王ぞ、
汝ら腹を切る時の手本とせよ」と告げて腹を一文字に掻き切り、
壮絶な最期をとげ、その間に親王は、南に向かって落ちのび
ました。
このように身代わりとなられた村上義光公を境内の
樹齢103年の欅の大木にて彫り上げ「撫で身代り」として入魂
致しました。
------------------(鎌倉宮 案内板より)
【宮さまの盾】
大事にしたい縁、守ってもらいたいことを盾に書いて奉納。
大事な縁を守っていただけるそうです。


★その3に続く。
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