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2022年05月30日 (月) | 編集 |
動画を見ながら書き起こし。メモとして置いておく。

台座に「御大礼 埋立竣工記念」
「昭和25年12月27日 御遷座」と刻まれている
焼津神社に奉納された神武天皇像について。

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【神武通りの歴史と焼津神社の神武天皇像について】
明治22年(1889)焼津村あたりで南北に伸びる通りは、
現在の浜通りと中央通りしかなく、現在の神武通りの辺りは
水田になっていた。
明治43年(1910)8月、瀬戸川の氾濫で大洪水がおこる。
この水害により埋没してしまった水田を埋め立て、
復興の為に新たな通りを作るとそこに新しい町が出来た。

そして時代は明治から大正へ。大正天皇の御即位を兼ねて
神武天皇の銅像がたつと、この辺りは「大正町」と呼ばれる
ようになる(現在の昭和通りから神武通りまで)。
焼津神社の神武天皇の像台座に刻まれる、
「御大礼 埋立竣工記念」とあるのはそれが理由。

4月3日は神武天皇が崩御された日で「神武祭」が行われる日。
焼津では「4月3日は神武さん、もう少し経てばお庚申さん」
と言って広場で踊りをしたり屋台が出たりのお祭りが行われて
いた(「神武祭」ではなく「神武さん」と呼ばれていた)。




やがて時代は激動の昭和へ。
昭和の大東亜戦争にて戦局が悪化するに伴い金属回収令により
神武天皇の像も取り外されてしまうも、この像を大事にする
誰かによって隠され(誰なのかはわからない)難を逃れる。
神武天皇の像は再び元の場所に戻り、昭和25年12月27日、
焼津神社に奉納される事となった。

昭和46年(1971)11月3日、市政施行20周年記念で商店街が
竣工される。「新富町」と呼ばれていた通りが「神武通り」
と呼ばれるようになった。この辺りの商店街の方々は、
毎年4月3日の神武祭には参列を続けている。


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7年前に記事にしたことがあるのですが、
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-131.html
この像については「焼津ゆかりの日本武尊の像を置くつもりが
手違いで神武天皇像がやってきた」という話も。

映像後編


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【戦時中の金属回収令について】
昭和18年12月の閣議決定で「金属供出除外リスト」が。
その中に、あの神武天皇像がリストアップされていた。
つまり誰も隠したりする必要はなく、
壊される事がなかっただけ?
【設置する像を間違えたという話について】
設置する像を買いに行った時に「銅像としては神武天皇の像が
良い」とオススメされた…という話を役員のかたから
聞いているという証言が。


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