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2022年06月07日 (火) | 編集 |
2022.3.26
源頼朝の墓は「ついで」みたいな感じで立ち寄りました。
下の写真、正面に見える石段は頼朝の墓へ向かう階段。
そして左手側に見える鳥居は白旗神社。
白旗神社については次の記事にて説明致します。

20220326_源頼朝_墓所_001

20220326_源頼朝_墓所_002

20220326_源頼朝_墓所_003

源頼朝の墓所
https://www.jalan.net/kankou/spt_14204aj2200025870/
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 源頼朝は、治承四年(1180)平家打倒のため挙兵、
鎌倉を本拠として元暦二年(1185)に平家を滅ぼしました。
また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪ノ下三丁目付近)に開いて
武家政治の基礎を築きました。
 正治元年(1199)に五十歳で没すると、自身の持仏堂で
あった法華堂葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰
されました。法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯
がそのあとです。
 現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重豪が整備した
ものとされます。


----------------(源頼朝 墓所案内板より)

20220326_源頼朝_墓所_004

墓所のすぐ隣に玉砂利があったので「何だろう?」と思ったら
「希義公の土と石」という説明板が立っていたので
ここに転載しておきます。

20220326_源頼朝_墓所_005

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希義公の土と石 
 父義経が平清盛の前に屈した「平治の乱(1159)」のおり、
平家方に捕縛された兄頼朝は当時13才、同じ父母の下に
生まれた希義は当時3才と言われていますが、
其の後一度として兄弟の再会なく今日に至っています。
 公家政治から武家政治へ移行の戦乱の狭間、兄弟の悲哀を
想い、今日互いの墓所の土と石を交換し835年の時を経て
兄弟を再会させたものです。

 平成六年(1994)九月二十五日 源頼朝公報恩会
                 源希義公顕彰会

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「史跡 法華堂跡」とありました。

20220326_源頼朝_墓所_006

現在は本当に何もないですが…

20220326_源頼朝_墓所_007

★「白旗神社」の記事へ続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4046.html


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