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そんなわけでようやく到着しました。
参道を歩きながらじっくり見たり写真を撮ったりしていた為
一時間ちょっとかかりましたが、何も寄り道せずに行けば
もう少し早く到着するかも知れません。
「山を歩いて行くのは嫌!」という人はこの釈尊寺までは
車で行ける道があるのでショートカットする方法も。
(…が、それはそれで勿体無い気がする)

釈尊寺。正式名称は「天台宗布引山釈尊寺」。
信濃三十三観音霊場第29番札所。
神亀元年(724)行基による開基と伝えられている。
境内には本堂、仁王門、護摩堂、客殿、大師堂、聖徳太子堂、
愛染堂など

天文17年(1548)年武田信玄が落雁寺入道、
布下仁兵衛を攻めた時、落雁寺城・堀ノ内城・桝方城が兵火に
かかって焼失。釈尊寺の諸伽藍も灰燼に帰す。
弘治2年(1556)望月城主滋野左衛門佐が本堂を再建。
享保8年(1723)野火の為再び炎上。寛延2年(1749)に、
小諸城主二代牧野康周により本堂が再建。
本堂屋根には天台宗の寺紋。
大正15年(1926)から昭和11年(1936)までは布引電気
鉄道が敷設され、参道の入り口には布引駅があったそうです。
(千曲川に架かっていた鉄橋の橋脚跡が今も残される)
下の写真は本堂の前にある観音様と、そこから見える観音堂。
観音様のお顔が暗くなっちゃって申し訳ない。


【絵馬】


【護摩堂】

【白山社社殿】
案内板によれば室町時代(1394~1573)中期以前の造立で、
御牧ケ原白山地籍に祀られていたものを移築したもの。
昭和34年(1959)修復。

【聖徳太子堂】
見るとこれも崖に埋め込まれている。
布引観音が聖徳太子が彫刻したという伝承があるらしい。

太子堂の先にある隧道をくぐる。
ここにも観音様(写真右手)。

観音堂が目前に迫ってきました。
あともう少しです。

下の写真は、隧道を出た辺りに鎮座する六地蔵。
「六道地蔵」とも呼ばれている。奪衣婆と閻魔大王の姿も。
奪衣婆の顔が怖い。水木しげるの漫画に出てきそう。


【愛染堂】
同じく崖に埋め込まれるように建てられている。
愛染明王が安置されているお堂。写真手前右のは狛犬。

観音堂に到着しました。

★その4に続く。
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