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【神門】

仁科神明宮
https://www.sinmeigu.jp/index.html
御祭神/天照皇大神
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当社はむかし皇大神宮御領であった仁科御厨の地に勧請
されたお社です。その創始年代は明らかではありませんが、
神宮雑例集によると後冷泉天皇の永正年にはじめて信濃に
御厨が建立されていた記事が見えるので、この時にはすでに
建立されていた事のではないかと考えられます。
神宮雑書信濃御厨の記事(建久3年8月註進)にも、麻績、
藤長、長田の御厨とともに仁科御厨の名がつらねており、
しかも仁科御厨にかぎり、「件御厨往古建立也」と注記
してあるので、信濃でも一番古いことが伺われます。
古族仁科氏が御厨に拠り、400年の長い間、終始その神役
にしたがい、又神明宮に奉仕して神事をおこたりません
でしたが、天正10年仁科氏が滅びてからは、
松本藩主小笠原貞慶が神領として朱印15石を寄進し、
以後松本藩主代々の祈願所として、寛永14年からは黒印
23石に改められ、かつ又徐地として村内ならびに一之瀬
(八坂村) 堀之内(白馬)、借馬、野口(いずれも大町市)
等に田畑山林、又青木湖一面等を有し松本藩中最も多くの
神領を保って明治維新を迎えました。
--------------(仁科神明宮 公式サイトより)
御本殿を見に行きましょう。

下の写真、右手前のは拝殿と奥のが御本殿。

「←御本殿・拝殿→」

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神明宮本殿中門(前殿)
国宝 昭和十一年九月十八日 旧国宝に指定され
昭和二十五年八月二十九日 文化財保護法の施行により
重要文化財の指定とみなされていたのを 昭和二十八年三月
二十九日 文化財保護法第二十七条第二項の規定により
『世界文化の見地から価値の高いもので たぐいない国民の民』
として 新たに国宝に指定された。
-----------------------(↓続く)
下の写真左から…
国宝の「御本殿・釣屋・中門」。

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神明宮は仁科御厨鎮護のために勧請されたのであるが
その創始の年代は明らかではない。現存の社殿は 寛永十三年
(1636年)松本藩主松平直政が式年造営を奉仕 藩士池田吉久
を奉行とし 大工金原周防をして造替せしめたものである。
社殿は、本殿と中門と両者を連絡する釣屋とから
構成されている。
-----------------------(↓続く)
【御本殿】

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本殿は 桁行三間 梁間二間の神明造で 破風板がそのまま
延びて千木となり破風板に鞭掛があり 妻には棟持柱があるなど
構造手法に古式がうかがわれ細部は大体室町時代の様式を
傳えている。これは文献の示す上では少なくとも永和二年
(1376年)以来二十年目毎に式年造営が行われ 工人が世襲的
に奉仕したためであらう。寛永の造営後十数回の修補を受け
昭和十四年保存法による解体修理が行われた。
本殿は 神明造の原型式を濃厚に保存している点 建築史上貴重
な遺構である。
また 修理を含む式年造営の棟札が保存されているが
明治以前のものが二十七枚もあるとは珍しく これら棟札は
文書にして重用文化財(昭和九年一月三十日旧国宝)に指定
されている。
----------------(仁科神明宮 案内板より)
拝殿横から三ノ鳥居の方を振り返ってみる。

【元御神木】
拝殿に向かって右手側にあります。


簀社・武山社の横に鎮座する境内社。左から…
熊野社・白山社・鹿島社・春日社・三島社・北野社。


続いて下の写真左から、疱瘡社・難胡社。

都波岐社。


【おまけ】
大町市のキャラ「おおまぴょん」と縁起物。



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