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ピンぼけてしまいましたが、結婚式をやっていました。


【拝殿】
安政六年(1859)の造営。

平泉寺白山神社
http://heisenji.jp/
御祭神/本社:伊弉冊尊
別山社:天忍穂耳尊
越南知社:大己貴尊(大国主命)
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当社は白山の開祖・泰澄大師の創建にかかる。
大師は白山登拝の途中林泉(今の御手洗池)を発見され、
そこで白山の神の託宣をうけられ、当地が神明遊止の聖地
なのを知り、社を建てて、白山の神を奉斎されたのに始まる。
白山信仰の中心地で、古くは白山平泉寺と呼ばれ、後世一般に
平泉寺の名で知られたため寺院であるかのように思われて
きたが本来神社である。
平安時代以降白山登拝の拠点である白山三馬場の一つとして
隆盛を極めた。鎌倉時代の初め、兄頼朝に追われた源義経が
奥州平泉に落ち延びる途中当社に詣でたことが『義経記』に
見え、鎌倉末の後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒に呼応して
当社の僧兵が大野郡牛ヶ原の地頭を攻め滅ぼしたことも
『太平記』に見え著名なことである。
-----------------------(続く↓)

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中世の最盛期には社領九万石、四十八社・三十六堂・
六千坊とうたわれ、戦国時代には一乗谷の朝倉氏とともに
越前における一大勢力であった。平泉寺出身の三光坊は
能面師の祖と仰がれている。このような当社であったが、
惜しくも天正二年(1574)折から係争中の一向一揆のため
放火せられ全山一時に灰燼に帰した。その後約十年にして
再興せられ、豊臣秀吉をはじめ江戸時代に入ると越前藩主
松平家の篤い崇敬をうけ、やがて明治維新に際し政府の
神佛分離令により長年の神佛習合の姿を脱し、
本来の白山社に復し今日に至っている。
---------------------(案内板より)
拝殿の背後。
石垣の上には御本社・越南知社・別山社があります。
この三社は白山神社の御本殿です。


【御本社】
中央に鎮座するお社。御祭神は伊弉冊尊。


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御本社 寛政七年(1795)の造営。
御祭神 伊弉冊尊。現社殿は越前藩主松平重富公による
再建で総欅の入母屋榑葺。昇り竜・下り竜の丸彫、
壁面の浮彫などの彫刻も秀逸で、奥越には珍しい華麗な
建築である。
御本社を中心に右に別山社、左に越南知社を配するのは、
白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているからであり、
このように白山三社の神々を勧進することは当社創建以来
の姿と思われる。今は失われているが、中世から近世には、
さらに金剱社と加宝社が加えられ、五社が整然と立ち並ぶ
さまは壮観であったと思われる。
---------------------(案内板より)
【越南知社】
御本社に向かって左側。御祭神は大己貴尊(大国主命)。

【別山社】
御本社に向かって右側。御祭神は天忍穂耳尊。

★その4に続く。
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ラッキーでしたね。
この神社はうっそうとした木立の中にあって神様を身近に感じられるようなところでしたので、厳かな神前結婚式にはピッタリです。
でも、設備も無さそうなのでここで結婚式をあげるのは勇気がいったでしょうけどね(^-^;
いつもコメントありがとうございます♪
神社で結婚式の場に出会うと幸せのお裾分けがあるような感じがして、ちょっと嬉しくなりますよね。この美しい景色を背景に神前式のご夫婦の姿というのも「美」を上乗せしたような感じで良かったです。