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【月見御殿】

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月見御殿
この付近は金ヶ崎の最高地(海抜86メートル)で月見崎
といい通称月見御殿と呼んでいて、南北朝時代の金ヶ崎城
の本丸跡といい、戦国時代などにも武将が月見をしたと
伝えている。
----------------(金ヶ崎城跡 案内板より)

手摺の場所からカメラを敦賀湾の方に向けて、
左から右に撮影。



後ろを振り返ってみる。

この場所で月見をしたら綺麗そうですね。

ちとピンぼけ。
下を覗くと小島のような岬の部分が見えますが、
そこは「絹掛崎」と言われる場所。


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絹掛松
南北朝の昔(西暦1337年)金ヶ崎城は落城したが、
直前に南朝の皇太子恒良親王(当時15才)は蕪木浦(いまの
越前町)にご避難された。その際御衣を脱ぎ岩の松の枝に
掛けられ、小舟に乗り移ったと伝えられ、その松を絹掛松と
言われ、前方の岩付近を絹掛崎と呼んでいる。
----------------(金ヶ崎城跡 案内板より)
城跡を通って帰りましょう。
【焼米石出土跡】




もう少し色々見ていこうと思ったけれど、
一気に金崎宮まで戻る事にしました。


ブログに訪問ありがとう。
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前回の旅で敦賀には寄りましたが、金ヶ崎城なんて頭の隅にも有りませんでした。
一連の記事を読ませていただくと新田義貞を初めてとする沢山の歴史の舞台になった所なんですね。
土地の歴史を知るのと知らないのでは一つのところでもその重さが全く違うのは分かっていることではありますが、今更勉強するのはなかなか厳しいです。
そんな時、SERUNAさんをはじめとしてブロガーさんの記事を読ませていただくことが、その良い機会になって有難いです。
いつもコメントありがとうございます♪
「こんな場所もあったのか!」は結構あるあるですね。
私も帰った後で他のブロガーさんの記事で気づいてしまったり、旅した所をもう一度振り返った時にそういった場所を見つけたりと、もっと早く知っていれば行っておきたかった場所が幾つも出てきたりするものです。仰る通り勉強をしてから行く方が見え方も違って面白いかもですが、後でわかって「じゃあ次また行った時に足を運んでみようかな」という楽しみも出来ますよ♪
>その良い機会になって有難いです。
私自身もtomabiさん同様、他のブログで気付かされる部分もあって大変助かっています。