焼津市東小川に鎮座する「熊野神社」にやって参りました。
御由緒等、随分前に紹介しましたが再度新しく。

神社へ続く参道。
むかしむかしはこの周りには田んぼだけで何もなく、
鳥居の場所には「かぶと松」と呼ばれた松がありました。

短い参道を進んで到着。


熊野神社
御祭神/伊邪那美命・速玉之男命・事解之男命
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源長宗第二十六代の後胤長谷川元長大永六年(1526年)
紀伊にのがれ熊野三社を勧請して帰り社殿を造営して奉斎
以来この神を産土神と仰ぐ
---------------(熊野神社 境内案内板より)
下の写真は、熊野神社社殿に隣接する摂社「那閉神社」。

那閉神社
御祭神/事代主命・宇氣持之命・須佐之男命
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当社の創建は古くその年月は不詳永年小川の産土神として
崇敬されて来たが熊野神社が創建されてより摂社として祀る
---------------(熊野神社 境内案内板より)
続いて那閉神社の前に鎮座するお社。
写真向かって左手側が宗像神社、右が津島神社と稲荷神社。

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宗像神社御祭神/市杵島姫命
津島神社御祭神/須佐之男命
稲荷神社御祭神/宇迦御魂神
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熊野神社拝殿向かって右手側に「小川御霊神社」。


小川御霊神社
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小川出身の英霊を祀る
---------------(熊野神社 境内案内板より)
小川御霊神社の背後に立つ御神木。
幹の周囲3メートルの楠。

下の写真は熊野神社御本殿裏手側。
小泉八雲に関するこんなエピソードが残されています。


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小泉八雲一行 熊野神社でアッチッチ…
明治35年夏 八雲は焼津神社からお地蔵さん(海蔵寺)へ
行く途中、熊野神社へ立ち寄りました。その頃の熊野神社は
ジメジメとした土地で、足の踏み入れ場もないほどに熊笹と
雑草が生い茂り、ようやく5.6寸幅に社殿を巡る径が残され
ている有様でした。
篠竹でくもの巣を打ち払いながら乙吉が先頭に立ち、
その後ろを八雲、長男一雄、書生の奥村が続きました。
社殿の真後まで来たとき、乙吉と奥村がアッチッチと顔色を
変えて飛び退きました。
しかし、八雲と一雄には何も感じられませんでした。
不思議に思った八雲は周囲をしきりに探索しましたが、
結局何も発見できませんでした。
焼津には地下にメタンガスがあると言われており、あるいは
そのメタンガスが地上に出てきて燃えたのかもしれない。
乙吉はこの時のことを思い出しては「あれは魔だノオ」と
怖しがっていました。
--------------(熊野神社 境内案内板より)
コレと同じ内容の案内板が鳥居の場所にあったので、
ついでに貼っておきますね。

熊野神社の御朱印は十月十六日、十七日の両日は熊野神社の
社務所にて受付。それ以外は終日焼津神社の社務所にて受付
するそうです。

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