まだご覧になってない方は是非先にこちらを見て頂きたい。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-484.html
国技としての相撲発祥の地とされる、奈良県桜井市にある
『相撲神社』に去年の三月に参拝しました。レポートを某SNS
からこちらに移し再編集して掲載しようと思います。

2013.3.9参拝
ここは穴師坐兵主神へ向かう前に参拝しました。
鳥居をくぐると「本当に神社があるの?」っていうくらい
何もない場所。鳥居からちょっと左に逸れるように奥に
入っていくとポツンと小さなお社というか祠のようなもの
が建っていました。「まさかこれが?」と思う位小さなそれ
が相撲神社だったのです(正しくは穴師坐兵主神社の摂社)。
相撲神社
https://www.city.sakurai.lg.jp/kanko/syaji/kashiramoji/sagyo/1395291720304.html
御祭神:野見宿禰、当麻蹶速
---------------------------
「国技発祥の地」
国に国歌、国花ある如く日本の国技は相撲である。
相撲はもとは神の信仰から出て、国土安逸、五穀豊穣
を祈る平和と繁栄の祭典であり、第十一代垂仁帝の七年、
野見宿禰と当麻蹶速が、初めて天皇の前で相撲をとり、
相撲節(七月七日)となりそれがもとで後世、宮中の行事
となった。
昭和三十七年十月六日、大兵主神社に日本相撲協会時津風
理事長(元横綱双葉山)を祭主に二横綱(大鵬、柏戸)
五大関(琴ケ浜、北葉山、栃ノ海、佐田ノ山、栃光)
をはじめ、幕内全力士が参列。相撲発祥の地で顕彰大祭が
おこなわれ、この境内のカタヤケシゆかりの土俵に於いて
手数入りが奉納された。
------------------(境内 案内板より)

「カタヤケシってなんぞ?」という人にちと説明。
『カタヤ』は『方屋』を意味し相撲場の四本柱の内(土俵場)
の事で、因みに力士が土俵に上がることを『方屋入』と
言うのだそうな。ところで『方屋』はわかったけど『ケシ』
がわからない。誰か詳しい人よろしく。
もうひとつ道沿いにこんな案内板があったので、
ここにそのまま掲載しておきます。
---------------------------
「カタヤケシ由緒」
今を去る上古約二千年前垂仁天皇七年七月乙亥(七日)。
大兵主神社神域内小字カタヤケシにおきまして野見宿禰、
当麻蹶速による日本最初の勅命天覧相撲が催されました。
これが世界に誇るわが国国技相撲の曙光であります。
爾来、相撲が国技として国歌大本の行事とされ、
悠々の今日に至っています。
日本書紀に、「野見宿禰は乃ち都に留まりりて仕へまつる」
とあり当地に屋敷を賜り国家草創期における
大和朝廷国土開拓の推進者として貢献されました。
その偉大な徳を偲びここカタヤケシを日本民族の象徴的
聖地として世に知られています。
-------(桜井ライオンズクラブによる案内板より)
相撲神社があるこの場所で野見宿禰、当麻蹶速による
日本で最初の相撲の取り組みが行われた。
垂仁天皇の目の前での相撲の試合だ。
ちょっと話はズレますが…
この場所から下っていくと、垂仁天皇の宮殿跡という
『纒向・珠城宮跡』があります。その近くに垂仁天皇が相撲を
楽しんだ場所があっても何ら不思議はないのですよね。
こんな風に歴史を辿って行くのもなかなか面白いものです。
あちこち神社や天皇陵をめぐり、帰ってから気付いてガッカリ
してしまったのは相撲神社の境内に土俵の跡があった事に
気付かなかった事。あまりに何もない場所だったせいもあって
土俵を説明する案内板すら無かったので、境内を散策していた
時に全然気付きませんでした。
何もないスペースがぽっかりあるなー…何だコレ?
というのはわかっていたけど。
【余談です】
相撲は日本の国技であり、神道に基づく神事です。
興味のない人もたまには相撲に目を向けてみては如何でしょう。
…と書いておいて自分もあまりじっくり見たことがないので、
偉そうに言える立場では無いのですがw(記事:SERUNA)
ブログ応援にランキングボタンや拍手をポチッと
押してもらえたら嬉しい。いつもありがとう♪
![]() にほんブログ村 | ![]() にほんブログ村 |