好きな人だけココに残って読んでくれい。
少し長くなるので桜ヶ池についてはその2でお話します。
あ!そうそう。神社でちょっとしたラッキーがありましたよー♪
2015.1.1参拝
昼は掛川まで遠征して『晴明塚』へ行こうと思っていたんですが、
途中の道で『池宮神社』の大鳥居を発見。立ち寄ることとなりました。
池宮神社というと県内の人でもパッとしない人が多いかと思いますが
「桜ヶ池」「亀まんじゅう」「さくら棒」というキーワードを出すと
「あぁ、もしかしてあそこかな?」と、ピンと来る人もいるかも。

上の写真、ちょっといい感じでしょ。
鉄塔マニアとかじゃないけれど大鳥居とのバランスがいい味出してる。
池宮神社へは国道150号線を走らせ、浜岡原子力発電所の近くにある
赤い大鳥居が見えたらそこをくぐって、真っ直ぐ進むと到着です。

池宮神社
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4409139
御祭神:瀬織津比詳命
相殿:事代主命、建御名方命
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創始は敏達天皇十三年六月(584年)に瀬織津比詳命がご出現。
社殿の造営がなされた。後、栄枯盛衰が激しく平安時代初めには
衰退し、社殿は大破した。しかし平安時代中期一条天皇の長保
三年(1001年)社家の遠祖源朝臣信栄が社勢を再興。
室町時代に入ると駿河・遠江を領有する今川氏の崇敬を受けたが
戦国末期に武田・徳川両氏の高天神城争奪の地となり社殿はじめ
宝物、旧記、古文書の大部分を消失。
江戸時代に神官神盛が再び興し徳川家の崇敬を受け、
明治維新に至るまで地頭の祈祷所となっていた。
享保十六年(1731年)には正一位の神階宣示を受け、
本殿は宝暦十年(1760年)拝殿は元文四年(1739年)に、
時の大宮司従四位下佐倉治部大輔源朝臣信幸が造営し、
その名池宮天王社とも称され現今に至る。
----------------(池宮神社 境内案内板より)
静岡県内あちこちまわって気付くんですが、
戦国時代には武田軍にぶっ壊されたり燃やされたりしている物が
色々あるんですよね。現代に至るまで静岡県民(駿河国)が
山梨県民(甲斐国)を「なんとなく苦手」としているのは、
根底にこういった歴史があるからでしょうかね。
…いや、別に嫌っているというワケじゃないんですけれども、
上手く説明できないや(だから山梨の人、怒らないでね)。

そんなに長い列ではないですが、
ここでも初詣の参拝者が並んでお参りをしていました。
あ!池宮神社で今年一発目のおみくじを引いてみましたよ。
結果は『大吉』と、新年から喜ばしい事でございます♪ ( ^ω^ )
…ですが、おみくじってのは神様からのアドバイス。
出た結果で一喜一憂ではなくて、中に書かれてある内容が重要。
願い事については、「初心を忘れないこと」的な事が書かれてあり、
そういえば思い当たる事があるなぁと、ハッとさせられました。
おみくじを引くたびに「神様には全部お見通しだよ!」みたいな事が
書かれているので、読んでドキッとしてしまう事が度々ありますw
ついでに、池宮神社の境内社の写真も一部載せておきますね。

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【法の沢 八幡神社】
榑林一族の祖先は天正九年三月高天神城落城の時、
国安橋を渡り、比木の金峯山正福寺に落ち着き、その後、
隣の佐倉法の沢に居を構え、この地に祠を建て、榑林一族の氏神
八幡神社とし祀られた。昭和四十九年に浜岡東小学校建設の敷地
となったため、池宮神社に移された。
【津島神社】
祭神は素戔嗚尊(牛頭天王)で、疫病除け、田の害虫除けの神
として信仰されている。宝暦五年八月(1755年)佐倉郷、
清水嘉十宅西側隣接地に鎮座された。平成三年三月(1991年)
弁天神社と合祀され、池宮神社境内に移され現在に至る。
【弁天神社】
祭神は田霧姫命・市杵島姫命・端津姫命で、海上交通を守護する
神として信仰されている。元文六年二月(1741年)佐倉郷、
清水稲次郎宅東側敷地内に鎮座された。平成三年三月(1991年)
津島神社と合祀され、池宮神社境内に移され、現在に至る。
----------------(池宮神社 境内案内板より)
★その2に続く。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-578.html
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