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神社の拝殿を隠すように立てられた塀。
これは『蕃塀(ばんぺい)』と言われるもので「不浄除け」「透垣」
「籬」とも呼ばれていて『晴(ハレ)』と『褻(ケ)』を分けるもの。
尾張の北西部の神社ではよく見られるものらしい。
この神社の蕃塀下部の中央をよく見ると、羊の像が施されています。
両隣にいたのは獅子でした。

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【社名の由来】
群馬県多野郡吉井町にある「多胡碑」に刻されている「羊太夫」
(多胡郡の領主)が、奈良の都へ上るときに立ち寄っていたゆかりの
屋敷が、この地(現辻町)にあり、この土地の人々が平和に暮らせる
ため「人心を安らかに」という願いを込めて羊太夫が、火の神を
祀ったといわれ、羊神社と呼び称えるようになったと伝えられている。
【地名の由来】
鎮座地辻町は、尾張志に「今、村の名を辻といえるは羊の省かり
たるやとそ」尾張国地名考に「住昔火辻村といひしを後世火の字を
忌て単に辻村と書といふ」と記されている。
-----------------ー(羊神社 参拝の栞より抜粋)

羊神社
http://www1.s3.starcat.ne.jp/hituji-m/
御祭神:天照大神、火之迦具土神
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創立年月日は不詳なれど、第六十代後醍醐天皇の御代
(西暦910〜930)にまとめられた延喜式神名帳に、尾張の国山田郡
羊神社と記され、本国帳に従三位羊天神と有る古社である。
神社に保存されている棟札によれば、本殿は慶長十八年(1613)に
再建されたとある。その後天保九年(1838)尾張藩主徳川斉温公の
時代に改築され今日に至っている。鎮座地「つじ町」は「ひつじ」
から「ひ」をとって名付けたともいわれる。
里の名を辻というも御社の 羊の名にし負へるとぞ聞く
昔から氏子地域には極めて火災が少なく「火災除」の神として
崇敬者も多い。太平洋戦争末期の名古屋大空襲には、辻町にも多く
の焼夷弾を受けたが、ほとんど火災にいたらず焼失の難をのがれる
ことが出来た。これも氏神様の御加護によるものと終戦後、
氏子の総意によって感謝祭が斉行された。
-----------------ー(羊神社 参拝の栞より抜粋)
いつものようにその他の境内社は省略。
神社に羊の像があったので写真を掲載しておきます。
ちなみにこの羊さんは、神の使いとかそういうの全然関係無く、
『羊』にちなんでという事で置かれているんだと思う。

それにしても参拝者がいつもの十倍って凄いな。
めてたいもの、有り難いもの、私も好きだけどみんな好きだねぇ。

【余談です】
神社の鳥居の外側にいた、リヤカーでチーズケーキ売ってた
『労働マルチ(詳しくはググれ)』の兄ちゃんがウザかったです。
スチロールの箱に入れてよく訪問販売に来たりするアレだ。
真面目に御由緒書きを読んでいるところに、
フレンドリーすぎるノリで「ちょっと、話聞いて欲しいんだ♪」
「どこから来たの?」「今日は静岡の人もよく買っていってくれるん
だよねぇ♪( ^ω^ )」とか、初対面の年上に向かってタメ口でしつこく
神社前で胡散臭い商品勧めんな。商売なら他所でやりやがれよ。
ま、高いから買わないけどなw
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気になっていたお宮さんだったので、正月に車で行ってみました。参拝者の列も、これからお参りに行くであろう人達も凄まじくて、結局通過しただけになってしまいましたorz
当たり前といえば当たり前なんですけど、境内に羊が居るんですね。菟足神社同様に羊が名前からきているってのも納得しました。
今年は歳男でもありますし、一生に一度くらいはの感覚で羊神社へ行ってみようと思ってます。
いつもコメントありがとうございます♪
Twitter情報やニュースによれば羊神社は、
お正月ホント凄かったみたいですね。普段は地域の人しか参拝に訪れない
ような神社だけど、今年は全国各地から集まってきちゃった…みたいなw
こないだ行った時は人の数が多かったですけれども、
鳥居からはみ出すほどでは無かったので、落ち着いてきた感じかも?
さとしさんも今年中に是非♪ ( ´ ▽ ` )ノ