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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2015年02月04日 (水) | 編集 |
本日みっつ目のエントリー。

この日の時系列についてはこちらを参照下さい。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-604.html

2015.1.25参拝
小さな神社ですけれど、真清田神社と同じ尾張国の一之宮です。
この日はたまたま大神神社の宮司さんがいらっしゃらず代理の方が。
私たちがここへやってきた時に、ちょうどその代理の方が楽しそうに
鼻歌を歌いながら自転車でやってきたところでしたw
(恐らく大神社の方だと思います)

男性:「どちらから?」
旦那:「静岡から来ました」
男性:「あぁー、あの富士山本宮の神社がある所ね。
   良い所ですよねぇ。あそこへはお参りに行かれました?」
旦那:「ついこの間、参拝に行ってきたところです」

拝殿で参拝の後、代理の方と旦那が楽しそうに笑談。
こういう場でのコミュニケーション、大好き。

20150125_尾張_大神神社_001

尾張國一之宮 大神神社
http://ichinomiya.gr.jp/014.html
御祭神:大物主神
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 ここ尾張地方は、木曽三川の河口部に開けた、広大な沖積平野。
川が入り乱れて、網目のような低湿地。葦の生え茂った、
大きな梁から転じて大梁・尾治・尾張となったとも言われている。
人が住み着き集落ができ、弥生時代から古墳時代にかけて、邪馬台国
から大和の国の頃、次第に東に「開拓」が進み、ここ「花池」にも
大和系(三輪族)の人々が大物主神を祀る「大神神社」を建て、
祖先を祀り日々の安泰を祈り、団結のシンボルとして神社を中心に
して部族を発展させた。
 一方、神武系の人々は、真墨田神社(後の真清田神社)を相殿と
いう形で建てて「天火明命」を祀った。

 また、奈良時代に国司が赴任して、国中の神社を代表して国府宮の
「尾張大國霊神社」を尾張の「総社」に指定。次いで花池の
「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言う
ことで「尾張一の宮」に指定した。

 嘉祥三年(850)「文徳実録」「尾張国帳」には、従一位大名神
とあり三宮明神・三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印が
あった)と称せられ、延長五年(927)延喜式神名帳には式内社
とあり、勅祭神社であったことが判る。


---------------ーー(大神神社 参拝の栞より抜粋)

20150125_尾張_大神神社_002

拝殿でお参りをしたあと、
社務所で御朱印をいただいた時に宮司さんの代理の方が…

男性:「よろしければ中の方をご案内しますよ♪」
旦那SERUNA:「…中…えっ、中?!」
男性:「御本殿の近くでお参りしていって下さい ( ^ω^ )」
旦那SERUNA:「うわぁ、ありがとうございますっ!」

そんなこんなで私たちは、「おいおい滅多やたらこんな機会無いぞ」
とビビりながら御本殿の側へ。御本殿の側で参拝とか畏れ多すぎ。
ちなみに下の写真で赤い屋根の所は神饌所、その向こうに御本殿です。
手前の瑞垣の扉から中へ通していただきました。

20150125_尾張_大神神社_003

御本殿を目の前に思わず「ほぉぉーっ」と声が出てしまう。
いやもうそれ以上声が出ません。超嬉しいです、超感激です。

男性:「ここに祀られているのは大国様(おおくに様と呼んでいた)
   の若い頃の大己貴さんね」
※大物主神は、大国主神の幸魂奇魂で同一と考えられています。

当然ですが写真は撮ったらいけません。御本殿の側で参拝させて
いただき、必死にどんなだったかを頭の中に記憶して参りました。
それから帰りにタオルまでいただいちゃいましたよ。
ありがとうございます。

男性:「今日は遠くからお参りありがとうございます。
   良いご縁がありますように」

余談です
御朱印がいただきたい人は、宮司さんや代理のかたが不在な時も
ありますので、事前に神社へ問い合わせをしてみて下さい。


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