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記事をふたつに分けますね。
洲崎神社の位置をゆるキャラで説明するとチーバ君のつま先あたり。
まずは安房神社から洲崎神社へ向かう道のりで見た、
綺麗な菜の花の写真をひとつ…

2015.2.14参拝
神社関連の番組はつい観てしまうんですけれど、
洲崎神社は最近、タカトシの『ぶらぶらサタデー』っていう番組で
知った神社だったり。実はここも安房國の一之宮なんですよねー。
源頼朝公のエピソードから「リベンジの神様」と呼ばれているとか
何とか言っていましたけれど。

鳥居の先に見えるのは隋神門。それをくぐると石段。
石段の上にぽつんと見えるのが拝殿です。

安房國一之宮 洲崎神社
http://www.sunosaki.info
御祭神:天比理刀咩命/相殿神:天太玉命、天富命
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神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の
忌部部族を率いて房総半島を開拓され、忌部の総粗神天太玉命の后神
天比理刀咩命を祀ったのが当社です。平安時代の延喜式神名帳に式内
大社后神天比理刀咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)
と称されていました。
鎌倉時代の治承四年(1180)石橋山の合戦に敗れ房総の地に逃れ
てきた源頼朝公は、先ず当社に参籠し源氏の再興を祈願し、寿永元年
(1182)には奉幣使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神田を
寄進。以降関東武家の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。
徳川幕府も朱印状で安堵しています。
室町時代には、江戸城を築いた太田道灌が、鎮守として当社の
御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前身と伝えられて
おり、東京湾をはさみ湾の西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊
を奉斎する神社が数社あります。また成田市鎮座熊野神社境内には、
明治二年(1765)建立の「六十六社石碑」があり、四方に一宮の
社名が彫られ、安房國一宮として当社の社名が彫られていて、
広く信仰されていたことがうかがわれます。
江戸時代後期の文明九年(1797)、房総の沿岸警備を巡視した
奥州白河藩主老中 松平定信が当社に参詣し「安房國一宮洲崎大明神」
の扁額を奉納されました。
-------------------(洲崎神社 参拝の栞より)

上の写真は随身門。参拝するにはこの門をくぐり、
147段ある急勾配の石段をのぼっていく必要があります。

祭りの日には石段中央の手すりが全て外され、御神輿が通るとか。
石段を登ると両側に、綱をつける場所があります。
(ちなみにこの綱は御神輿につながれ、命綱のような感じに…)
YouTubeから動画を拝借。見ているとハラハラしますね。
この石段をのぼりきった時、後ろを振り返るとそこには…

石段をのぼってきて他の参拝者もハアハアしていましたが、
たかが147段といっても階段が急だと苦しくもなりますわなw
写真だとこんな感じだけど、実際見るともっとすごいハズ。
一旦休憩をして息を整えたらお参りをしましょう。

★その2に続きます。
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千葉まで足を伸ばされるとは、凄いですね!千葉県って言うと、最近気にはなってはいても、なかなか後回しになってしまいがちな地域です。
それはさておき、石段上がっての風景は見てみたいです。
絶対綺麗だと思います。なかなか関東地域は出張の時にぶらぶらするのが主流になってしまいがち。電車での移動だと厳しいかな。
コメントありがとうございますー♪
千葉の南房総までいくと一日そこで時間をつぶす勢いでいないとダメかもですね。
静岡からだと、海ほたるを使って行ってもかなり時間がかかりますし… (;´Д`A
(さとしさんが現在お住いの愛知県からですと、さらに倍かかりますね)
ほとんど何もない所なので、伊豆半島と少し似たような雰囲気があるかもw
『洲崎神社』はそんなに大きくはないけれども、良い神社ですよ。
拝殿の場所から眺める海の景色も、富士遥拝所から眺める富士山も綺麗です。
いつか機会があればさとしさんも是非♪