fc2ブログ
定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2015年02月22日 (日) | 編集 |
この日の時系列についてはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-639.html

「八犬伝の地へ行きたい」
ここへ来たのは、ウチの旦那がそう言い始めたのが始まりです。
南総里見八犬伝って言うと角川映画しか思い浮かばないや。




あの当時は小学生。映画の八犬伝のストーリーをあまり事細かに
覚えてないのが残念。薬師丸ひろこさんが可愛くて好きだったけど、
時の流れは何とまあ残こ(以下自粛)
そういや放送部でこの映画のパロディ映像作ってたなぁ。
あの当時の8ミリって高かっただろうに、しかも小学校の備品で…
ってそんな話はどうでもいいw

さて…

20150214_tateyamajyou_001.jpg

館山城(八犬伝博物館)
http://www.tateyamacity.com/info.php?lngCode_Data=186

城の形をしていますが博物館です。

江戸時代の文豪、曲亭馬琴が書き上げた『南総里見八犬伝』に関する
資料や錦絵などがいろいろと展示されています。物語が好きな人なら
楽しめる場所かと思われます。…私は残念ながら原作を読んだ事が
全く無いのでアレですが、錦絵を見るのが好きなので良かったなと。
「原作をちょっと読んでみたいかも」という気持ちにもなれたし。
博物館の後半には、昔NHKで放送されていた人形劇の貴重な人形まで。
(放送開始時が昭和48年4月って、私が産まれる数ヶ月前ッスよ…orz)

あと、南総里見八犬伝をベースに制作された関連物も展示されていて、
その中に山田風太郎の生原稿があったり。「まさかここにあるとは!」
って山風好きな旦那がメチャクチャ感激してたよw

それにしても八犬伝って随分と超大作なんですよね。長ぇ… orz
誰か「3分でわかる南総里見八犬伝」って動画作ってくれんかなぁ。


SERUNA:「原作って面白いの?」
旦那:「おおまかな感じしか知らないけど、後半はグダグダ」
SERUNA:「じゃあ、最初の方がクライマックスか」
旦那:「うん、最初の方が盛り上がってる感じ」

…多分、読んだら読んだでハマりそうな予感がする。
ハマったらハマったで漫画描き始めちゃいそうだから怖い。(;´Д`A

20150214_tateyamajyou_002.jpg

『里見城跡』という石碑と、側に梅が咲いていたので撮ってみた。
------------------------------
 里見氏は戦国時代の房総に君臨した一族です。
里見氏はもともと安房の武士ではなく、上野国の出身です。
今の群馬県高崎市(旧榛名町)に里見という土地があります。
そこから、戦国時代初頭に安房に現れたのが、
房総里見氏の祖となる、里見義実(さとみよしざね)です。
 豊臣秀吉の時代に、館山城を拠点に栄華を誇った里見氏でしたが、
江戸時代になり、外様大名を取りつぶす政策にのまれ、慶長19年間
(1614)9月、安房国十代の里見忠義は安房領地を没収され
鹿島三万来の替え地として倉吉(鳥取県倉吉市)に移され、八年後、
29才の若さで亡くなりました。忠義公と八人の家臣墓は倉吉市の
大岳院にあり、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルと言われて
います。


--------------------(案内板より一部抜粋)

20150214_tateyamajyou_003.jpg

広場からの眺めがまたいい。
ここにも桜の木があるんだけど、時期になったら絶対に綺麗。
写真の位置から真っすぐ進んでいって…

20150214_tateyamajyou_004.jpg

↑城を背に北側(海の向こうは横浜)の方角を見る。
↓城を背に西側(海の向こうに富士山)の方角を見る。

20150214_tateyamajyou_005.jpg

天守閣から西の方角を見るとこんな風景が広がります。
左側の広い敷地『海上自衛隊 館山航空基地』から海の向こうには、
向かって右手に三浦半島、左手に伊豆半島と、半島越しの富士山…
が見えるハズですが…ゴメン。遠くて薄くてよくわかんないね。

20150214_tateyamajyou_006.jpg


おまけ
城の側にあった浅間神社。

20150214_tateyamajyou_007.jpg

御祭神:木花佐久夜毘売命
------------------------------
 館山は関東の富士見百景に選ばれた土地で古代より富士山に
対する信仰が厚く、文明二年(1782年)には、
富士山本宮の明細帳に富士浅間宮として記載されている。
 関東大震災後に間口五尺・奥行四尺の神社が再建され、
昭和十二年に戦争のため北下台に移転されましたが、
戦後の昭和二十五年に再び城山の山頂に復現され、平成二十一年
老朽化が著しく、氏子からの寄進により修復されました。
 社前にある小御嶽様の石碑は、慶応二年(1866年)に富士講中
より奉納されたものです。


--------------------(案内板より一部抜粋)

★南総里見八犬伝の『伏姫籠穴』に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-653.html
★『里見茶屋』で食べた美味しいカレーについて。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-651.html


いつも応援ありがとう♪( ^ω^ )ノ
拍手&ランキングボタンをポチッとよろしく!
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
関連記事
テーマ:写真ブログ
ジャンル:ブログ
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック