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2015.2.27参拝
ここの御朱印帳が気になっていた旦那。
三種類(神主仕様一種、巫女仕様一種)出ているんですが、
二種類を無事にゲット。参拝もしてきました。

田無神社
http://tanashijinja.or.jp/
御祭神:尉殿大権現(級津彦命、級戸辺命)、大国主命、
須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街比売命、日本武尊、
大鳥大神、応神天皇
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田無神社の創建は遠く不詳です。本宮はすでに正応年間(鎌倉期
十三世紀)に谷戸の宮山に鎮座し、尉殿大権現(尉殿権現社)と
呼ばれていました。時代は下り、徳川家康が江戸幕府を開くにおよび
当神社は元和八年(1622年)に上保谷に分祀し(尉殿神社)、
さらに寛文十年(1670年)に現在の地に遷座したのです。当社は
明治五年(1872年)に田無神社と改称し、現在に至っております。
御祭神の尉殿大権現(級津彦命、級戸辺命)はすべての命の源で
ある水と、よろずの災を祓う風を司る豊穣と除災の守護神で
その御姿は金龍神として顕現いたします。金龍神は境内の東西南北
にお祀りされている青龍神、白龍神、赤龍神、黒龍神の中心となり、
五龍神として、その御神威をいや高めに高め、あらゆる災難、
悪しき方位の障りを祓い除けて下さいます。
-------------(田無神社 境内案内板より一部抜粋)

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楠木正成公像
南北朝時代(1336〜1392年)に後醍醐天皇の命に応じて兵を挙げ、
幕府の大軍と戦った楠木正成公は戦の神としてあがめられてきました。
楠木正成公の子孫は、その後、武蔵の国保谷に移り住み、
尉殿大権現(田無神社)の御分社である尉殿神社をお守りしたと伝え
られております。
そのような歴史の中で楠木正成公像が尉殿大権現(田無神社)に
お祀りされました(成立年代不詳)。以来、戦士は像をくだき、
お守りとして戦場に臨んだとも伝えられています。
------------------(田無神社 境内案内板より)
像の一部が無くなっていたり、すり減ったりしているのは、
この案内板を読むと「なるほど」と思いますね。
社務所の横には、四本の龍のご神木が。
『黒龍神』『白龍神』『赤龍神』『青龍神』。
田無神社のサイトに『五龍神方位除け』のページがありましたので、
ココに貼っておきます。http://tanashijinja.or.jp/houiyoke.html

その他境内社は省略。
ちなみに御神木の龍神以外にも、黒龍神、白龍神、赤龍神、青龍神
がお祀りされている所もありますので、皆さんも田無神社へ参拝の
際は境内をあれこれ散策してみてはいかがでしょう♪( ^ω^ )
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