→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-703.html

--------------------------
東尋坊
http://www.fuku-e.com/010_spot/index.php?id=476
------------(リンク先:ふくいドットコム)
ここに来る前に東尋坊について少しだけ学ぼうと思った私。
「そういえば、東尋坊の名前の由来について考えた事無かったな」
と事前に頭に入れておこうと調べてみたら、その由来が怖すぎた。

【東尋坊の由来】
平泉寺に数千人という坊主がおり、その中には『東尋坊』という
僧がいた。東尋坊は自分の力が強い事を良いことに悪さばかり。
平泉寺の僧侶たちはとても困り果てていました。
寿永元年(1182)四月五日のことです。平泉寺の僧侶は、
「皆で海辺へ行こう」と東尋坊を誘って出掛けます。そして日本海
が見渡せる場所に腰掛けると、一斉に酒盛りを始めたのです。
東尋坊はすっかり気分が良くなり、酒もすすんでついウトウト。
平泉寺の僧たちは、その様子を見逃しませんでした。
そして「今だ!」と『真柄覚念』という侍に目配せをして東尋坊を
崖の上から突き落としたのです。そう、彼らの観光の本当の目的は
東尋坊を酔わせて崖から突き落とし殺害する事にありました。
落ちて行くときに全てを悟った東尋坊。彼は死に際に多くの者達
を道連れにしましたが、その無念は晴れる事がなかったのです。
東尋坊の怨みは大地を震わせ、それまで晴れていた空はたちまち
黒く分厚い雲に覆われ、雷鳴を轟かせ、激しい豪雨に。彼の怨念は
真柄覚念にも襲いかかり、海の底へと吸い込んで行ったのです。

その事があってから東尋坊が突き落とされた四月五日前後には、
彼がまるでその時の事を恨むかのように激しい風が吹き、
海は荒れ、雷雨が西から起こり、東の平泉寺に向かったのだそう。
付近の漁師達は船を出して漁に行けないだけではなく、彼の祟りを
恐れました。困った漁師達は福井東光寺の『長老瑞雲』に東尋坊の
怒りを鎮めて欲しいと申し出ます。
漁師からの依頼を受けた瑞雲は東尋坊が突き落とされた岸から…
好図見性到心清 迷則平泉不太平 北海漫々風浪静 東尋何敢碍舟行
という詩を海に沈めると、それまであった東尋坊の祟りが、
それを境にパッタリと起こらなくなったという事です。
※更にもうひとつの説としては、回国の僧がこの地に訪ねてきて、
「しつむ身のうき名をかへよ法の道 西をたつねて浮へ後の世」
という句を水底に入れたら、祟りが鎮まったという話も…

((((;゚Д゚))))))) 「先生!東尋坊って結局怖い場所じゃないか」
SERUNA:「突き落とされた坊主の名前が由来だったとか凄いな」
( ´;ω;)「自殺の名所を抜きに考えても由来が既に怖い!」
SERUNA:「リアルにサスペンスが起きていたワケだねぇw」
で、ちょっとした疑問。ここに来る途中にあった小さなお堂は、
ここでの自殺者の霊を弔うためのお堂だったんだろうか?
それとも、東尋坊を弔うためのお堂?
写真を載せておきます。誰か詳しく知っている人がいたら、
是非コメ欄から教えて欲しい。

まだまだ続くよ!
★東尋坊レポその3に続く。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-705.html
いつも応援ありがとう♪
拍手やランキングをポチッとよろしく!
![]() にほんブログ村 | ![]() 人気ブログランキングへ |