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2015.4.12参拝
福井旅二日目にこんなコースを組み込んでみました。
尊王攘夷の天狗党ゆかりの地を訪れる事となった私たちは、
『松原神社』へと向かいます。神社の近くには、彼らの墓も。
「天狗党ってなんぞ?」と思われた人は、長くなるのでググれ。
この機会に自分で検索したり本を読んだりで学んでおきましょう。

SERUNA:「天狗党とか尊王攘夷に興味があるの?」
旦那:「山田風太郎の小説の中で…」(´・ω・`)
SERUNA:「あ、やっぱりそっちか… 」(´・ω・`)
だいたい予想はついていたがなww

さてと、松原神社の神様に願掛けと誓いを。
日本のお隣は変な国ばっかだし、国内にも変な連中がいるからな。
自分も自分が出来る限りの事で日本を護っていきたい。
国家安寧、それから天皇弥栄…っと。

松原神社
http://yaokami.jp/1180494/
御祭神:正四位武田伊賀守 以下四百十一柱
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徳川幕府の末業、勤王の大志を抱き尊攘論を唱えて京都に赴き、
素志を貫徹せんと意を決した武田伊賀守他同士達は各地に轉戦
しつゝ、元治元年十一月大雪の中、新保の地にて加賀藩の軍門に
降り、敦賀の鰊倉に幽閉され慶應二年二月斬罪により松原の露と
消えた。
大政奉還復王政維新明治の聖世となり命等の勤王の大志が天日
を見るに至り慶應三年敦賀の修験行壽院が神祇伯白川家の許可を
得て院内に諸士の魂を祀り、明治七年十一月水戸の人根本彌七郎
が墓地附近に一小祀殿を創建して松原神社と称し、大正四年
十一月現在地に御造営竣工し、白砂青松の浄域に御御霊を奉還、
永く英霊の鎮まり座すこととなった。
-----------------(松原神社 境内案内板より)
松原神社では毎年十月十日に例大祭が行われます。
なぜ例大祭がこの日かというと、明治十一年、明治天皇が北陸を
巡幸された際に、祭祀料(墳墓祭典費として五百円)を下賜われ
たのですが、その日が十月十日だったからというのが理由。
明治時代の貨幣価値は、ググってみたら一円が現在の二万円相当。
なので、あの当時の五百円というとかなりな額ですね。
ちなみにその後、武田耕雲斎以下四百十一柱は、
明治二十二年五月に、東京九段の靖国神社に合祀されております。
桜が綺麗に咲いていたので一枚撮影。

境内の片隅に、天狗党が幽閉された『鰊倉』があるのですが、
現在は『水戸烈士記念館』として使用されています。

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元治二年(1865)武田耕雲斎等八百二十三名は舟町の鯡倉
十六棟に収容された。この記念館は築港工事のため鯡倉の大部分を
取りこわすことになったので昭和二十九年の秋九十年祭を記念して
ここにその一棟を移築したものである。
-----------------(松原神社 境内案内板より)
武田耕雲斎など30名ばかりを除き、
それ以外の者たちには左足に足枷をかけられたそうです。
鰊倉の中はそれはもう劣悪な環境で、倉の窓には釘が打ち付けられ
真っ暗で、食事は朝夕ともに、おむすびが一つと白湯のみ。
敷物といえばムシロだけ。トイレは倉の中央に置かれた桶でする。
倉の中は悪臭いっぱいで病気になる者まで出たそうな。
( ゚ω゚)「普通の人なら耐えられなくて発狂しちゃうね」
SERUNA:「更に言うと一棟あたりの収容人数が約50人だそうだ」
(;゚Д゚)「えぇっ!マジでっ!?」
記念館の中の資料を見たかったんですが、鍵がかかっていました。
日曜だったからかな。ここが開館している時っていつだろう?
取り敢えず、ガラスにレンズをピタッとつけて中を撮影してみた。

これと同じ、天狗党の人たちが幽閉された鰊倉が、
茨城県水戸市の回天神社境内に一棟移築されているようなので
もし天狗党の歴史などに興味がありましたらそちらにも是非
足を運んでみて下さい。(記事:SERUNA)
★次は『武田耕雲斎等墓』の記事ですよ。
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