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2015.5.23参拝
久し振りにやってきました石上神宮!
ここの主祭神は、神武天皇が危機の時にタケミカヅチが降ろした
布都御魂剣(この剣は彼が所持していたもの)。それから、
ニギハヤヒが天降られる時に、天津神より渡された十種の神宝。
それからもう一つは、スサノオが八岐大蛇を退治した時に使われた
と言われている十握剣。
詳細ページ→ http://www.isonokami.jp/shinwa/index.html
もうね、これらがこの神社に神としてお祀りされているってだけで
私はシビれてしまうのですよ。(*´Д`) ハァハァ…

朝早かったので境内の鶏が鳴きまくりw
神の使いと言われている鶏についての詳細はコチラ。
→ http://www.isonokami.jp/map/17.html
でっかい鶏もいるのですが、個人的にはこの親子っぽいのが好き。
雌鶏も居たけれど、雄鶏の尾で隠れてしまった。orz

鶏舎の中にみっちり。
ちなみにこの子らはこのあと全て外に放されていました。

楼門をくぐるとお社はすぐ目の前。
現在、楼門左右の回廊は塗替工事が行われています。

神職の皆さんは社殿のお掃除真っ最中。
神様にお尻を向けないよう、気を配りながら掃除をしてました。

石上神宮
http://www.isonokami.jp/
御祭神:布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神
配祀神:五十瓊敷命、宇摩志麻治命、白河天皇、市川臣命
-----------------------------ー
石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山の西の麓、布留山
(標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうと
した常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。
北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、部門の棟梁たる物部氏の
総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気
平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
御祭神は、神武天皇御東征の砌、国土平定に偉功をたてられた
天剣(平国之剣)とその霊威を布都御魂大神、鎮魂の主体である
天璽十種瑞宝の起死回生の霊力を布留御魂大神、素戔鳴尊が八岐
大蛇を退治された天十握剣の威霊を布都斯魂大神と称え、
総称して石上大神と仰ぎ、第十代崇神天皇七年に現地布留の高台
に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮」「石上坐
布都御魂神社」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも
呼ばれていました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿
(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿を寄進されたものと伝えています。
中世に入ると、招福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、
布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、
同寺とたびたび抗争しました。戦国時代に至り、織田尾張勢の
乱入により社頭は破却され、壱千石と称した社領も没収され衰微
していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて
明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治四年官幣
大社に列し、同十六年には神官号復称が許されました。
当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地を御本殿と
称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されて
いました。明治七年菅政友大宮司により禁足地が発掘され、
御神体の出御を仰ぎ、大正二年御本殿が造営されました。
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、
昔の佇まいを残しています。
------------------(石上神宮 参拝の栞より)
摂社の『出雲建雄神社拝殿』は屋根の葺き替えのため、
足場が組まれ、覆いがかけられていました。

『出雲建雄神社』。
ここの御祭神は出雲建雄神で、草薙の剣の荒御魂。
隣の小さなお社は『猿田彦神社』です。
詳細→ http://www.isonokami.jp/map/8.html

摂社の『天神社』と『七座社』。
詳細→ http://www.isonokami.jp/map/5.html

★その2へ続く!
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-767.html
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