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2015年06月26日 (金) | 編集 |
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2015.5.24参拝
旅の二日目は和歌山県の神社めぐり。熊野本宮大社へ向かう前に
元々本宮があった場所である『大斎原』へ行ってみる事に。
(後でわかった事ですけれど本当は、先に現在の本宮を参拝して
次にこの大斎原を参拝するというのが正しいようです)

大斎原まで来た時に、大鳥居がある方とは逆の裏手側から入って
しまいました。国道168号線沿いに小さな鳥居があります。

20150524_ooyunohara_001.jpg

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世界遺産 熊野本宮大社旧社地 大斎原(史跡)

 平安時代の長寛元年(1163)、朝廷に提出された『長寛勘文』
に収められた「熊野権現後垂迹縁起」によれば、崇神天皇65年
(紀元前33年)に熊野権現が「大斎原」の3本のイチイの梢に
3枚の月形となって降臨したと伝えられる地です。
 明治22年の水害に罹災するまでは、
鎌倉時代の『一遍上人絵伝』や『熊野曼荼羅』に描かれた十二所
権現を祀る社殿と同じ構成の社殿が建ち並び、熊野権現へ直接
祈願するため全国から夥しい数の参詣者が訪れた聖地で、往時の
姿を伝えるように近世の壮大な切石積基壇が遺り、
流出した中四社・下四社の神々を祀った石祠2基が建てられ、
今も祭祀が継続されています。


-------------------(大斎原 案内板より)

上の写真の鳥居から行くと、川に架かる橋を渡る形になります。
向こうにぽつーんと旦那が写り込んでいるけど気にしないw

20150524_ooyunohara_002.jpg

木々が茂る神域です。向こうに映り込む旦那と比較してみて、
どれだけココが広くて大きいか伝わるでしょうか。

20150524_ooyunohara_003.jpg

ここまで来ておいてナンですが、裏から来てしまった事に気付き
表側にぐるっとまわる事に。大鳥居から入り直しです。orz
そして下の写真が大斎原の大鳥居。これは平成の世になって
建てられたものです。

20150524_ooyunohara_004.jpg

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熊野本宮大社日本第一大鳥居

 世界が新しい時代を迎え“今”まさに、人心が神と自然から離れ
つつある今日、当社の最も危惧するところは、“命脈の護持”
であり、当社にては、“社頭の維持”であります。
神代の時代、素戔嗚尊が大地の荒れ果てているのを嘆かれ御自ら
木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名付けられました。
皇紀二千六百六十年を迎えた日本国にとって大なる節目になる
ことは無論の事、この節目に当たり「日本人の精神(心)の蘇り
・生命の尊さ(一人一人)・日本経済の再生・熊野の山々より
環境の大切さの再確認、国内は基より世界人類平和」を確固たる
事を祈念し、今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく
大斎原を発信基地として熊野の大神の広大なる御神徳を得て、
神と自然と人が共にある様、皇紀2661年にも熊野大神の御神徳が
発揚且つ千木高く厳然として鎮まりますよう平成十二年五月十一
日に建立致しました。

高さ 約三十四メートル、幅 約四十二メートル


---------------(熊野本宮大社 参拝の栞より)

下の写真は世界遺産の石碑と、大斎原の手水舎。

20150524_ooyunohara_005.jpg

20150524_ooyunohara_006.jpg

大斎原
http://www.hongu.jp/kumanokodo/hongu-taisya/ooyunohara/
【中四社 御祭神】
第五殿:忍穂耳命/第六殿:瓊々杵命/
第七殿:彦穂々出見命/第八殿:鸕鷀草葺不合命
【下四社 御祭神】
第九殿:軻遇突智命/第十殿:埴山姫命/
第十一殿:弥都波能売命/十二殿:稚産霊命

20150524_ooyunohara_007.jpg

20150524_ooyunohara_008.jpg

かつてここには一万坪を超える境内がありました。
『熊野本宮并諸末社図絵』(上写真)を見るとわかるのですが
一番大きな川は熊野川、左方より流れ込んでいるのが岩田川、
大きく蛇行したあと街並みに平行して流れているのが音無川。
森に囲まれた中洲中央には横一列に並ぶ、十二柱の神々を祀る
社殿と上神楽所。その前には大きな礼殿と、礼殿の前に大釜。
これらを囲むように門を構えた塀が廻り、その外側に幾棟もの
摂末社と、宝蔵・文庫・神馬舎・能舞台が散在していました。

音無川を越えて境内に入る箇所に太鼓橋が掛かっていましたが
江戸時代までは橋が無かったそうで、参詣者は川を渡って、
足を濡らさねば境内に入る事が出来なかったのです。
(つまり全ての参詣者が、これによって自然と身体を清める禊
をしたことになる)『濡藁沓の入堂』と呼ばれていました。
ちなみに下流の三川合流地点に船着場、新宮へと向かう、
『川の参詣道』の出発地点があったそうです。

さて…
境内は写真撮影が禁じられていますので、ここより内部の撮影
はしていません。「どうなっているのかもっと知りたい!」
という人の為に和歌山県の公式動画を貼っておきますね。



★続いては、熊野本宮大社の記事です。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-809.html


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