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2015.5.24参拝
続いて『熊野速玉大社』を参拝です。
日記的に記録を残していますが、これらが無駄にならず、
いつか参拝される方のお役に立てたらいいなと思っております。
皆様に幸せが訪れますように。( ´ ∀ ` )ノ

鳥居をくぐり右手側。
ここにもいらっしゃいますよ八咫烏さん♪(右のお社)
御祭神は『建角見命』。神武東征の際に八咫烏の姿に化身して、
神武天皇に仕え、大和国まで道案内をした神様です。
左側のお社には『天之手力男命』がお祀りされています。
この神様は皆さんご存知、天照大神の岩戸隠れのお話で大活躍
した力持ちの神様です。

境内には『奉八度の記念碑』があります。
奥州南部八戸領久慈八日町(岩手県)の吉田金右衛門さんという
人が、八度の熊野詣を記念してこの石碑を神社に奉納したもの。
石碑に1708年と刻まれていますが、あの当時で岩手から何度も
遠路はるばる熊野までお参りに行くというのは凄いですね。
(交通の便が良くなった現代ですら大変な事なのに驚きです)

さて、熊野信仰と皇室についてこんなお話があるので掲載。
皇室と神社というとお伊勢さんとの繋がりばかりがピックアップ
されがちですが、熊野の信仰も篤かったようですよ。
昔、こんなカタチで熊野詣をされていたんですよーというお話が
案内板に詳しく書かれていました。随分と長旅だったんですね。
昔は今のように、平坦に舗装された道路がなかった時代。
全てをめぐるにはさぞ大変だった事でしょう。
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熊野御幸
中世、宇多上皇(第五十九代天皇)の延喜七年(907)から
玄輝門院の嘉元元年(1303)までの三百九十六年間に上皇、
女院、親王を合せて二十三方、百四十回に及ぶ皇室の御参詣が
あり、これを熊野御幸と言って熊野三山史上に不滅の光彩を
放っている。
熊野御幸には、陰陽師に日時を占定させて、斎館で心身の御精進
を数日間行われて後に御出発になる。白河天皇の天永元年九月の
御幸には総人数八百十四人、一日の食糧十六石 二斗八升、
傳馬百八十五匹と「中右記」に記している。
御幸の道順は京都、住吉、和泉、紀伊半島海岸沿いに南下して
田辺、中辺路、本宮、熊野川を下って当大社へ参拝、
那智山、雲取、本宮、往路コースを逆行して帰京されるまで、
およそ二十数日に及ぶ難行苦行の旅であった。
熊野御幸によって、熊野信仰は公卿武士、
庶民の間に流布し、熊野水軍をもつ熊野三山の忠誠心を助長し、
京と熊野との文化交流有名な熊野懐紙、幾多の名歌が詠じられ
るなど、各方面に大きな影響を残している。
----------------(熊野速玉大社 案内板より)
速玉大社の歴史が書かれる案内板を読みながら
境内をのんびり歩くと、神門が見えてまいります。

★その2に続きます。
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