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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2015年07月04日 (土) | 編集 |
この日の時系列についてはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-762.html

あぁ、もう7月だよ…
参拝日記に時間かけすぎてスマンです。orz

2015.5.24参拝
続いては『神倉神社』。ここは熊野速玉大社の飛地境内地。
ここには神社の御神体である磐座『ゴトビキ磐』がありまして…
おそらくみなさん写真を見れば「あ!どこかで見た事あるよ!」
とハッとする人が沢山いらっしゃるのではないかなと。

古事記には詳しく書かれていませんが日本書紀の神武東征の話に、
「即位前三年戊午の年、六月二十三日、名草の村に至り名草戸畔
を討ち、そこから狭野を越えて熊野神邑に至って天磐盾に登った」
と記載されています。神武天皇が登ったとされる『天磐盾』と
される山が、千穂ヶ峰の南方にあるこの神倉山(権現山)。
神武天皇はこの山をのぼったのです。

20150524_kamikura_001.jpg

神倉神社に来てまずビックリするのがこの石段。
1193年に源頼朝が神倉神社に寄進したもので、538段あります。
さて登ろう!と思っても、ちょっと躊躇してしまう急な石段。
そこに私の母親くらいの年齢と思しき女性が、慣れた足取りで、
どんどん上の方へと進んでいくではありませんか。
なにぃっ?!これは負けていられんぞ!

※写真右側はウチの旦那。左が年配の女性。
(旦那を追い越しヒョイヒョイと登っていくからビックリw)

20150524_kamikura_002.jpg

まるで壁のように立ち塞がる石段。
息を切らせながらあがって、後ろを振り返ってみると…

20150524_kamikura_003.jpg

うおぉぉ!怖えぇぇぇーーー!

チビりそうwww
これ、踏み外してコケたら絶対に転げ落ちて死ぬってw
今まで参拝者の転落事故ってひとつも起こらなかったのかな。
(気になって調べてみたら石段ではなく、境内の別の場所で事故
が起きていました。擦り傷があった事から滑落事故と思われ。
https://web.archive.org/web/20160602164822/https://wbs.co.jp/news/2012/10/30/12363.html
※記事が削除されていたのでインターネットアーカイブにかけて
リンクさせています。


よっしゃ!後ろを見ないで、気をつけながらのぼっていこう!
…と思っていてもチラッと振り返り、下を見てしまう。

あぁぁぁ!怖えぇぇぇ!((((;゚Д゚)))))))

少し向こう、下が見えないのは目の錯覚じゃないですよね。
先の無い絶壁みたいに見えるんですけどぉぉぉぉ!

20150524_kamikura_004.jpg

2月の『御燈祭』と言われるお祭りでは、この石段を、
白装束の人たちが、たいまつ片手に駆け下りて行くんだとか。
動画でその様子を見てみると、最初の人は勢いがつくけれど、
後半の人はゆっくりだからまだいい。でも将棋倒しとかに
なったりはしないのかと、想像するだけでハラハラしてしまうw

YouTubeより、ウォーカーステーションTVの動画を拝借。
4年前の動画です。1400年続く神倉神社の『御燈祭』。


御燈祭では、白装束の人は白いものしか食べちゃダメ。
女性に触れてはいけない(女が白装束に触れてもいけない)。
祭り当日は注連縄よりも内に女が入ってはいけない。
…など、禁じられている事が色々あって興味深いです。
(祭りは完全女人禁制)


火神社(写真左)、中ノ地蔵堂(写真左)
平坦な場所があるとちょっと落ち着く。
まだ半分もいっていません。もう少し頑張ってのぼりましょう。

20150524_kamikura_005.jpg

参道の脇に『千穂が峰 登山口』とありましたが…
道のようで道ではなさそうな道があったが行けるんだろうか?

20150524_kamikura_006.jpg

暫く歩いて行くと二の鳥居が見えてきます。
鳥居から真っ直ぐに進んでいくと神倉神社の社殿とゴトビキ磐。
右側に見える石段を上がると満山社があります。御燈祭の時には
この二の鳥居から、白装束の人たちが駆け下りていくんですね。

20150524_kamikura_007.jpg

満山社

20150524_kamikura_008.jpg

そして二の鳥居をくぐると、かなり古そうな手水舎。

20150524_kamikura_009.jpg

-----------------------------
 新宮城主第二代の水野重良(1596〜1668)、下野国(栃木県)
那須城主の大関高増の母の延命と繁栄を祈願して寄進したもの
です。「大関高増の母」は、重良の姉(妹)にあたります。
黒雲母花崗斑岩の巨大な石を加工して作られており、正面には
寛永八年(1631)二月、重良が寄進したことが刻まれています。
 阿須賀神社にも同様のものが奉納されています。


---------------(神倉神社 境内案内板より)


★その2に続きますよー。
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コメント
この記事へのコメント
参拝の感想は…

頼朝公…

もうちょっと平坦に作れなかったんかい(笑)

途中の平地にあった末社の隣に女坂って矢印あったけど岩清水や港区の愛宕神社みないな楽勝コースと思って行くと大変な思いをしますよ。

坂でも階段でもない

ただの崖ですから

よい子の皆は登りより遥かにスリルがある表参道の石段を下ろう
2016/07/21(Thu) 21:50 | URL  | 猫柳 #cvznxSWw[ 編集]
Re: 猫柳さん
こんばんは、いらっしゃいませ。
いつもコメントありがとうございます♪

あの石段は行きも帰りもスゲー怖いですよね。
初めてあれを目にした時は「おいおい随分とイカれた石段だな」
って呟いたくらいです。登っていると何かの試練でも与えられて
いるような気分が味わえますw
2016/07/21(Thu) 22:37 | URL  | SERUNA★静岡 #-[ 編集]
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