定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
2015年07月21日 (火) | 編集 |
本当はこの記事の前に、
『補陀落山寺』の記事が来るハズでしたが…
一日頑張って書いた下書きを全て消してしまいましたので
先に『熊野三所大神社』のレポートをアップします。

やる気なくなるなぁ、チクショウ。orz


2015.5.25参拝
熊野三所大神社は補陀落山寺の隣に鎮座しています。
ずっと昔は、鳥居より20〜30m先は海だったそうですよ。

20150525_kumanosansyo_001.jpg

20150525_kumanosansyo_002.jpg

御本殿は、木造檜皮葺三間社流造。
社殿の中央に祀られるのは『夫須美大神』
右に祀られるのは『家津美御子大神』
左に祀られるのは『速玉大神』です。

20150525_kumanosansyo_003.jpg

熊野三所大神社
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=8010

-----------------------------
一、御祭神
 家津美御子大神、夫須美大神、速玉大神

二、摂社(石宝社)
 丹敷戸畔命(地主ノ神)
 三狐神(食物ノ神)
 若宮跡(浜ノ宮王子社跡)
 渚の森にあり 社殿は宝永の津波で流失

三、由緒
 古来「渚の宮」「浜の宮王子社」「熊野三所権現」と称せられ
 補陀落山寺との神仏習合の形態が今に残り本殿のすぐ前で
 参拝ができる数少ない神社である。
・熊野年代記に
欽明天皇廿余年「浜の宮に宮殿出現」とあり。
同三十年補陀落観音出現とある(約1400年前)。尚天武天皇五年
八月大暴風雨「浜の宮王子社流る」とある。
・平家物語、維盛入水の頃に
浜の宮と申す王子の御まへより一葉の舟に棹さしてとある。
・熊野詣日記(足利義満の側室)に
「申の半時に、はまの宮に御つき御奉幣、御神楽常のごとし」
とある。

四、渚の森(社寺前の森を云ふ)
 昔の面影はないが「紀路歌枕抄」にもあり古来和歌によく
 読まれた名勝の森。

続古今集 衣笠内大臣
 「むらしぐれ いくしほ染めて わたつみの
            渚の森の 色にいつらむ」以上


-------------(熊野三所大神社 境内案内板より)

石宝社の写真を撮り忘れた… orz

【摂社にお祀りされる『丹敷戸畔命』について】
『日本書紀』にはこんな話が。天の磐盾(神倉神社がある山)
を登った後、神武天皇は舟軍を率いて海路をゆきます。
兄である稲飯命と、三毛入野命は、暴風のなか荒波に翻弄されて
亡くなるが、神武天皇はそれを乗り越え、皇子のタギシミミノ命
と共に荒坂の津(丹敷の浦)に到着します。この地には女曹長の
『丹敷戸畔』という者がいたのですが、朝廷に従わない態度を
見せたため、これを討ち滅ぼしたということです。
(※古事記には記載が無い)

神社の境内には『神武天皇頓宮跡』と刻まれた石碑があります。

20150525_kumanosansyo_004.jpg

この近くの海岸に『赤色海岸(浜の宮〜狗子ノ川までの海岸)』
と言われる場所があります。※場所は下記リンク参照
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/30421/L0645963/

赤色海岸という名前は、神武天皇が丹敷戸畔命と戦った時に、
海が彼女の血で染まったため、この名がついたとの事。ちなみに
那智勝浦町浜ノ宮の『赤色』という地名もこの時の戦いに由来
するものだとか。そして新宮市の『御手洗海岸』は、丹敷戸畔と
戦った時についた血を、この磯で洗った事からついた名だそう。
彼女の墓は、少し離れた串本町の二色という場所にあります。

【浜の宮の大楠】
現在この地に森はありませんが、大きな楠が残されています。
この大樹は樹齢800年とも言われていて、二本の幹が根元で一つ
になっている夫婦楠です。

20150525_kumanosansyo_005.jpg

【浜の宮王子社跡】
宝永の津波で流出され、社殿はありません。

20150525_kumanosansyo_006.jpg

-----------------------------
 藤原宗忠の日記、『中右記』天仁二年(1109)十月二十七日
条に、「浜宮王子」とみえ、白砂の補陀落浜からこの王子に参拝
した宗忠は、南の海に向かう地形がたいへんすばらしいと記して
います。『平家物語』には、平維盛がここから入水したと記され
ていますように、補陀落浄土(観音の浄土)に渡海する場所でし
た。那智参詣曼荼羅には、浜の宮王子の景観とともに、
この補陀落渡海の様子が描かれています。

また浜の宮王子では、岩代王子(みなべ町)と同様に、
「連書」の風習がありました。連書とは、熊野御幸に随行した
人々が、官位・姓名と参詣の回数を板に書いて社殿に打ち付ける
ことです。応永三十四年(1427)の足利義満の側室・北野殿の
参詣では、十月一日に「はまの宮」に奉幣し、神楽を奉納した
のち、帯や本結(紐)を投げると、神子女(巫女)たちが、
争って拾った様子を、先達をつとめた僧実意が記しています。

 三所権現あるいは渚宮と呼ばれていましたが、現在は熊野三所
大神社と称しています。なお、隣の補陀落山寺は千手堂あるいは
補陀落寺と呼ばれ、本来はこの王子社と一体のものでした。


-------------(熊野三所大神社 境内案内板より)


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コメント
この記事へのコメント
こんにちは!記事拝見しました。

神社はパワーをもらえる気がして好きです^^
和歌山は少し遠いですが…
機会があればぜひ行ってみたいと思いました!
情報ありがとうございます♪
応援していきますね^^
2015/07/21(Tue) 13:13 | URL  | しま #-[ 編集]
Re: しまさん
初めまして、こんにちは。そしていらっしゃいませ。
コメントありがとうございます♪

和歌山の神社もなかなか良いところですよ。
これらのレポートがいつかしまさんのお役に立てる事が
出来たら嬉しく思います。( ´ ▽ ` )ノ

よろしければまたブログにいらしてくださいね♪
2015/07/21(Tue) 16:18 | URL  | SERUNA★静岡 #-[ 編集]
はぢめまして。御朱印ガールと言うキーワードでふらふらしてたらたどり着きました。そしたらおいらの言いたい事をズバッと書いてあったので感心しました。

今週3連休だったので年間の和歌山官幣社ツアーをやろうとしたのですが台風で本宮大社の道路が水没と聞き諦めて京都官幣社ツアーに切り換えました。

本宮大社は大丈夫だったのだろうか?

2015/07/24(Fri) 06:25 | URL  | 猫柳 #06BlqXJk[ 編集]
Re: 猫柳さん
初めまして、おはようございます。
そしていらっしゃいませ。コメントありがとうございます♪

↓あ、この記事にたどり着いたんですね。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-438.html
本当もう「ちょっとしたオシャレ感覚」で御朱印をもらう人の
多いことに呆れるばかりですよね。メディアもアホだから、
「なんとかガール」で釣りまくって腹立たしいったら無いです。

それはさておき和歌山は時々、水害で大変な事になりますね。
私もついこのあいだそのニュースを目にして心配になりました。
数年前も大変なことになってた地域だし、マジで災難続きだなぁ…
2015/07/24(Fri) 08:01 | URL  | SERUNA★静岡 #-[ 編集]
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