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むかしむかし『補陀落渡海』という捨身行を行っていたお寺が
和歌山県にありました。それがココ『補陀落山寺』です。

天台宗 補陀落山寺
https://www.nachikan.jp/kumano/fudarakausan-ji/
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宗派
比叡山延暦寺を総本山とする天台宗山門派
当寺の沿革
補陀落渡海で全国に知られる当寺は、仁徳帝(313〜399)
の御代に印度より渡来の裸形上人により開かれたと伝えられ、
那智本願の一寺として隆威をきわめた。
御本尊
三貌十一面千手千眼観世音菩薩は、平安後期の作と伝えられ、
御丈1m90cmの立像で、国の重要文化財の指定を受けている。
補陀落渡海
那智の浜から生きたまま船に乗せ、観音の浄土、
すなわち補陀落山に往生しようとする宗教儀礼で、当寺から
多くの行者が渡海した。
渡海上人の墓、二位尼・平時子、三位中将・平維盛の供養塔が
裏山に現存している。
---------------(補陀落山寺 境内案内板より)
※渡海上人の墓は写真に収めていません。
【那智勝浦においての補陀落渡海】
補陀落渡海は貞観十年(868)から享保七年の間にトータル25人
(内訳:平安時代に5人、鎌倉時代に1人、室町時代に12人、
安土桃山時代に1人、江戸時代に6人)が那智の海から浄土へと
旅立ったそうです。
境内には『補陀落渡海船』の復元模型が展示されています。
(=゚ω゚) 「先生ー、お寺なのに船に鳥居が立ってるよ」
SERUNA:「神仏習合の影響でしょうな」

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補陀落渡海とは
生きながらに南海の観音浄土(補陀落浄土)をめざして
行われた一種の捨身行である。平安時代から江戸時代まで20数回
にわたり、那智の海から当寺の住僧達が渡海した。
この補陀落船は那智参詣曼荼羅をもとに平成5年熊野新聞社社主
寺本静生氏によって復元されたもので、入母屋作りの帆船で
四方に発心門、修行門、菩堤門、涅槃門の殯の鳥居がある。
-------------(補陀落山寺 渡海船の案内板より)
発心門、修行門、菩堤門、涅槃門の四つの門は、
死者の霊魂が仏心をおこして往生し、解脱をするまでの過程や、
人を導くためのもの。死者はこの四つの門(鳥居)をくぐり
浄土往生すると考えられているようです。
補陀落船の中に一ヶ月分の水と食料を積んで中に入ると、
出られないよう外側から板が打ち付けられ、海に流されます。
浄土を目指し、二度と生きて戻る事の出来ない旅へと出る
渡海船はいったいドコに辿り着くのか…

((((;゚Д゚))))))) 「ひえぇ…怖い…」
要するに、生きながらに埋められる『即身仏』と同じですね。
しっかし仏教の世界、どんだけハードモードなんだ。
中には補陀落渡海で沖縄に辿り着く例もあったそうな。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/bcms/prefg/000200/nagomi/web/nagomi12/specialfeature04/index.html
(リンク先:和歌山県広報課)
琉球民:「ハイサーイ♪( ^ω^ )」
僧侶:「うわ!ココどこ?…は…拝斎?
なんだろう、見た事無い植物いっぱい咲いてるし…
えぇー、もしかしてワタシ本当に浄土へ来ちゃったの?」
琉球民:「うんじゅ、まーんちゅか?まーがらきちゃぬ?
(あんたどこの人?どこから来たの?)」
僧侶:「…う…吽儒…曼…うう、言葉わかんねぇ…
すみません、あなたは仏様のお使いでしょうか…」
方言なんかの言葉の壁が絶対にあると思うんだけど、
どうやって現地民と交流を深めたんだろうw
ちょっと古っぽい和歌山県の公式動画
もうひとつ、鮮明な映像はここがオススメ。
NHK映像マップ『みちしる』新日本風土記アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004500151_00000
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